12月 28

 中学生の頃から テレビドラマが好きだった。

しかも 劇中深く入り込む見方をして『放映されているこのドラマは 誰が書かれたものか』原作者脚本家まで確認し 言葉の語尾ひとつから情景の描き方まで 気にして観ていたのはその頃からだ。 心の琴線に触れる感動の深さが 圧倒的だった三人の脚本家『倉本聰さん 山田太一さん 向田邦子さん』の作品しか見なくなっていた。テレビ観賞だけでは飽き足らず お年玉や小遣いを貯めて シナリオ本を購入しては読み漁り しまいには 書き写すところまで行き着いた。 当時シナリオ本自体が出回っておらず 札幌のテレビ局にまで問い合わせて 取り寄せたこともした。

 当時通う中学校は 国立大学の教育代用附属校。 

教職課程の学生による 教育実習が毎年行われ 公開授業も頻繁に開催された。 県内外からも来客の多い学校であったにも関わらず 小生の鞄に忍ばせていたのは シナリオ本だった。 そこで出会った財産は 未だに続く多くの交友と「ソシオドラマ」という名称で 生徒主体の寸劇。 名前の由来は不明だが 生徒独自で台本を作成し 全体朝礼の時 寸劇を披露するものだった。 ほんの短い演劇体験ではあったが 制作過程に感動し この道に進んだきっかけだ。

 志が立つ時期 年齢的にも多感な年代。 

三人の偉大な脚本家の作品に 触れられたことは幸運だった。 自分の「根っこ」を育てて頂いたと 誠に勝ってだが今でも感謝している。 さらに倖せなことは 偶然が重なり 敬慕する二人の脚本家に直接お会い出来 お話させて頂けたことだ。 残念ながら 直接お会い出来なかったのは 不慮の事故で亡くなられた向田邦子さん。

かつて彼女は少女の頃 鹿児島にお住まいだった。  

有り難いことに「近代文学館」でその頃の様子を窺える。 書くことに迷いが出た時 向田さんに逢いに行く。 いつの日か 鹿児島発の連続テレビドラマを 放映したいという想いを胸に・・・ 今日も向田さんに逢いに行ってきた。

向田邦子さん居住跡地の碑

城山の麓 居住跡からは 桜岳の麗容「桜島」を眺望できる
日当たり良好は場所だ。

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 卒業してから 数十年ぶりに訪ねた学び舎。
今でも「人になる教育」を日々実践していた母校は 私の誇りである。