11月 08

 書が好きで 子どもの頃から筆に親しんでいた。 好きが高じて 筆耕(ひっこう)の職に就いた時期もある。

 

「筆耕」とは 

①写字などにより報酬を得る事。②文筆により生計をたてる事。とあるが小生の場合は 葬儀・婚礼時のいわゆる看板文字書きだった。

 勤めた先は 割と大きめの花屋で 婚礼部門と葬儀部門があった。 婚礼時に書く仕事は 土日祝の前日までに仕上げる事が一般的だが 葬儀の場合 友引(ともびき)前日以外は ほぼ毎日書いていた。なぜなら友引の日は 火葬場が休みで 書く仕事が無いのだ。

 

 書く対象物の大きさは 花屋の店先で注文を受けた 花束に添える名刺ほどのカード書きから 葬儀会場入口に設置される 20尺(縦約6m・横約1m)の大看板に 棺の蓋や骨壺もあった。 何とも往生したのは 連絡の不徹底で 御遺体が安置された棺の蓋に 書かなければならなかった時である。 既に祭壇に飾られ 親族も揃った式間際 了解を得て蓋を開け 全員の注目を浴びながら書いた時には 生きた心地はしなかった。

日頃 書く量が一番多い物は 祭壇の両側を飾る 生花(菊の花籠)に据え付ける名札で 多い時は 日に400枚以上書いた時もある。 他には 葬儀場所を指示する道案内の 通称「捨て看板」に 珍しいものでは 米粒にも筆書きした。

 筆耕は 急な対応にもその場で対処する為 お通夜の式場に 筆と墨を持参し出向く。

お通夜開始が夕方18時直前になり 「付け花」と呼ばれる祭壇に飾る花籠が 方々の花屋から次々と会場に届けられる。 名札には送り主の名前が記されてはいるのだが その文字は千差万別で 一緒の祭壇に飾ると文字が逆に目立ち 統一させるために 書き直す必要が出てくるのだ。  身内親族にとって葬儀式とは 時間の流れが尋常な時ではない。 人間の研ぎ澄まされた 悲しみの五感が極端に鋭くなっている。 式に携わる側の人間も 肌で感じる為 表情感情を出来る限り抑えるが お通夜開始時刻寸前になって「付け花」の文字を書き変える段階では 一分一秒を争う忙しさだ。 それまで冷静に振る舞ってきた人間が 一転して慌てだす瞬間を幾度となく見てきた。 「忙しい」という文字が 心を亡くすと書く意味が はっきりと分かる瞬間でもあった。

 

「筆耕」の日常は至って平凡 ただひたすら筆で文字を書く。 その繰り返しの日常で思いついた事があった。  

 長年筆耕を続けてきた人間であっても 縦書きで何枚も文字を書いていくうちに 字列が左右どちらかに傾いてしまう。 歪みを防ぐ為「あたり」と呼ばれる枠点を付け 書いていくのだが これでは 急ぎの時など時間がかかる。 その時 小生は考えた。 片目(利き目)を閉じて書いてみたらどうだろう。  周囲の奇異な目も気にせず 片目書きに没頭した。 これは 人には「利き腕・利き足」があり「利き目」もあるはずだから きっと利き目で見る力の方が 強いはずだと考えたのだ。 小生は右目が利き目なので 両目で見ていても 右目で強く見ている為に 文字は左に歪んでしまう。よって左目だけで書く訓練を始めた。 最初はぎこちなかったが 慣れると案外楽に書け 考えていた通り何枚書こうが 文字が歪む事はなくなった。 当然「あたり」の枠点を付ける事もなくなり 他より俄然書く速度が増していった。

 

 この利き目を閉じて書く事を体得したら 不思議な事に 丸い円を正確に描けるようになったのには驚いた。 丸く描いた円に コンパスを当て確認すると 完全な円形を成している。 試しに正三角形を書く練習を続けたら 見事にその形を正確に描けたのだ。 この事象は かつて古代ピラミッドを造った人が 当時高度な測量技術を持たずして 正確な正三角形を創り出せた技ではなかったのか。 世界の七不思議の一つは 利き目を閉じる事により 成し得たのではないかと直感した。  一読された方…利き目を閉じる事など 時間は要するが 試してみる価値はある。

 

 ここに於いて 書き記しておきたい事は 七不思議を解く鍵だとか ピラミッドの測量技術の話ではない。 人には 利き腕・利き足・利き目があり 知らず知らずのうちに 人間の身体機能を 片方しか使わず生活している危険性を問いたいのだ。 人間誰しも楽な方を望む 利便性の追求は今後も 世界の文明に寄与するだろうが 最も難しい 人の意識を変えるヒントは 日常の何気ない行動の中にも隠されている。

「筆耕」時代の筆

「筆耕」時代の筆。

 米粒にも書く依頼があり その時使用した筆は 鼬(イタチ)の毛の筆を好んで使用した。 

当時試みた事は 棒に大筆を括り付け 立ったまま文字も書いた。 左手書きに両目を閉じて書くなど 今 思えば かなり破天荒な「筆耕」時代であったが 人間 自分に負荷をかけて訓練すれば 大抵の事は出来るものだ。 その時学んだものは 出来るまでやれば 必ず出来るという 単純な答だった。