7月 26

路面電車のある風景

 一つ違いの妹 栞(しおり)は 姉の英(はるか)の先を早足で歩いている。 家から路面電車の始発駅まで続く 真っすぐな田圃の畦道。
二人は朝出がけに 何気ない事で言い争いをしていた。

○食卓・丸い卓袱台(ちゃぶだい)

英  「制服を着る前に 食事しなさいよ」
栞  「(むせて)うっ!」
    
    味噌汁の具を噴き出す栞。

英  「ホラ こぼした」
栞  「英姉ちゃんが 変な事云うから汚れたでしょ」
    
    慌ててスカートの吹きこぼしをふき取る。

英  「自分が悪いのに 人のせいにしないでよ」
栞  「もおー 今朝は早く行かないといけないのよ」
   
    普段着の英が 無言で食事をし始める。
    母は板場の炊事場で 黙って弁当を作っている。 
    背広姿の父は 娘たちの白いハンカチを 炭入り
    アイロンで皺を伸ばしていた。

 妹の栞は高校一年で バレーボール部に入部して間もない。 一つ上の姉とは同じ学校で しかもバレーボール部の先輩後輩にあたる。
県内でも有数の強豪チームは そこでのレギュラーの座を巡り 熾烈な競争があった。 

 上級生の練習は 授業が終わった放課後 存分に出来るのだが 入学して間もない新入部員たちは その時間はまだ球拾いしかできず まともな練習をするには 朝の授業が始まる前の僅かな時間を使うしかなかった。

英  「(高圧的に)制服は学校の誇りよ 汚すのは恥だからね」
栞  「(仏頂面で)そンなこと云ったって わざとじゃないもン」
英  「着替える前に 食事すればいいのよ」
栞  「急ぐのよ」
英  「慌てたって ろくな事にならないわよ」

    意地を張り合う二人の言い争いはきりがなく 
    居間でアイロンがけを終えた父が 見かねて
    二人の間にハンカチを放り投げた。

栞  「(むくれて)父さん ありがとう」

    と言い残し 慌てて玄関を後にした。 
    卓袱台には 母の作った弁当箱が二個並んでいる。

英  「しょうがない 持ってってあげるか」

 姉妹の通う学校には 連綿と受け継がれている三つの伝統があった。

1つ 挨拶をする時。 
 挨拶とは まず相手よりも先に行う事を基本とし 自身を相手に向けて立ち止まらせ お辞儀をするという慣習である。
その所作は何時いかなる時であろうと 一旦立ち止まり相手の目を見て行われる。 学校内での日常 教師に対しては勿論 部活動の先輩 来客者にもその仕草 立ち振る舞いの動作は行われ 充分に気を張っていなければ 叱責が飛ぶ。 
校内では声を出して挨拶されるが 校外で学校関係者に出会った場合には 立ち止まり黙礼だけのお辞儀だ。
 校内行事で 全体の朝礼が行われる体育館に 全校生徒が集まり学校長が壇上に上がる。その時 校長に対し正坐している全校生徒は 一斉に頭を垂れて深々とお辞儀をする。 その一糸乱れぬ美しい動作は 全員の呼吸が合わなければ成し得ない。 生徒数はゆうに1千名を超えている。

1つ 昼の清掃時間の時。
 昼食を終えた生徒たちは休憩後 校内外の掃除作業に入る。各々が教室・廊下・階段・通路・トイレ共有部分と学校周辺に散らばり清掃する。 清掃作業は極一般的だが 他と明らかに違うのは 清掃時お喋りしてはならないのである。いわゆる寡黙修練と呼ばれるもので 無言のうちに塵を掃き清めていく。 その時言葉は必要無く 淡々と一連の作業は行われていく。
いつもは賑やかな女子高にあって その時間だけはまったく静寂の時だ。 音はといえば 庭を掃く竹箒の音にトイレを水で流す音ぐらいで 生徒がいるにも関わらず深閑とした校内である。

1つ 別名が名付けられる。
これは運動部に限ったことで 先輩連中が入部したての新入生一人一人に 第一印象でその子に目指してほしい漢字一文字を付ける。 例えば素直に育ってほしいとイメージされると「直(なお)」となり その新入部員は本名ではなく「直(なお)」さんと呼ばれる事となり これが三年間続く。 栞に名付けられたの名前は「咲(さき)」であった。

○路面電車(車内)・夕暮れ
英  「(小さな声で)もう部活は終わったンだから 坐っていいわよ」
栞  「(無理して)いい 立ってく」
英  「じゃあ そのバッグ膝に乗せなよ」
栞  「(ためらいつつ)うん ありがと」  
    
    車内は帰宅帰りの乗客で満員に近かった。

○路面電車(車窓)・茜空を映す
    
    満員の中 老婆がよろけて 栞に当たる。

老婆 「(か細く)ごめんなさい」
英  「(すかさず)どうぞ 坐って下さい」
    膝に抱えたバッグを栞に渡し 席を譲る。
老婆 「ありがとうねえ」

○車窓
   海から聳える山に 夕焼けが紅く染まって。
                 
                       (終)

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