5月 26

畑より見る西都原古墳
<畑より見る西都原古墳>

 西都原(さいとばる)と読む地名であり そこには墓がある。 
南九州は宮崎の地 広大な土地に野菜畑が広がる中 古代縄文時代の巨大古墳群が点在している。 太平洋岸に面した平野部では一年の日照時間が平均2200時間以上もある地域 極めて太陽の光に恵まれた温暖な気候風土で 山があり川が流れ海も近い。 古代に生きた人々が この地を選び暮したのも頷(うなづけ)る。  
  この広々とした小高い丘の上に 西都原考古博物館が建つ。
足を踏み入れると 古代浪漫溢れる発掘された展示品のひとつひとつは 遥か昔古代人からの贈り物であり 器の小さな欠片であっても人が生きた証である。 そこには紛れもない生活があった。   さらに感動を増幅させる壁面に飾られた見事な詩文には 言葉を無くす程の感銘を受ける。
 そのいくつかを紹介したい。

『文化を 先進だとか後進とか 発展だとか停滞とか そうした尺度で計ってはならない。  それは人間の価値を計るべきでないのと同じことだ』

『現代の農業は 文化を生み出す力を失いつつある。  だから 今一度 文化を生み出す農業を 取り戻す必要がある』

『生命を食らうことは 生きることである。  確かに感謝を持って 生命を食らうのだ』

『縄文のムラは 広場を中心として円形あるいは 輪を描くように形成された。 環状集落は 文字通り家族を単位とする家々の「輪」であり 人間の「和」の具体的な姿だった。  でも 現代を生きる私たちは 遠くその事を忘れて 久しい年月を費やしたものだ。 何とか私たちは それを取り戻そうと努力したが 果たして君たちに実りをもたらしたであろうか』

『戦いは何時も 消耗に決まっている』

『鏃(やじり)   獲物を獲得するための大切な道具を 何故 人は人に向けて引き絞るようになったのだろうか。  この深刻な問題を解く鍵を 考古学に求めたとしても 決して失望することはないだろう』

『此処より何処かに 希望の大地が。 としても 放浪の厳しさも心に留めておくべきだ。  楽園は 心の中だ』 

『考古学とは   「人間」とそれを包み込むすべての領域を考える  総合科学の要である』

 人類の歴史は この星の誕生の歴史と比較しても ほんの僅かな歳月でしかない。 時代を経て進化してきた高度な文明の発達は 多くの恩恵を与えてきた半面 人間の都合により自然界の摂理を 極めて短い年月で消耗してしまった。 かつて地球全体を氷河期へ向かわせた暗雲 それと同じ自然の神からの戒めが今 人に覆い被さってきている。 
 都会で暮らす人々も 環境問題への取り組みを声高らかに上げてはいるが 夜になっても昼間のように明るい都会では 残念ながら本来人が持つ生命の感受性を養うことはできない。 命を大切にしようと投げかけたところで 偽装される不安感を抱きつつ購入する パック詰めされた食肉を日々口にしている日常では 自然からの生命を頂く尊さを感じられる訳がない。 
 人が口にする生命の死は これまで蔑(ないがし)ろにされてきた高齢化過疎化の進む 農林漁村地区でいち早く体験する必要がある。 その土地で 生きた魚鶏豚牛を自らの手で捌(さば)き 土泥に塗れ 米野菜果物作りを体験実践する事で 人は 人として本当の豊かさの意味を知り 人間として生かされている立場を弁(わきまえ)え 今こそ人類として成すべき役割を覚えるのだ。
 先祖が残した教えは偉大なものであり そこから学ぶべきものは無数にある  須(すべから)く 西都原を目指すべし。

宮崎 西都原古墳群
<畑より見る西都原古墳>

耕作畑より眺む古墳跡
<耕作畑より眺む古墳跡>

5月 23

宮崎港発大阪行きフェリー
<宮崎港 出航前の船を眺む。九州宮崎と 関西大阪を行き来するカーフェリーは約12000トン 速力25ノット。 人と車 多くの物資を積んで毎日運航する。>

 宮崎の港から 船に乗った。
大阪南港を目指し19時に出港して  翌朝7時には港へ到着予定の一晩船の中で寝たら着く旅 よく利用する。 
船内には食堂 売店 無料で入れる風呂まであるから 船旅 もなかなか乙(おつ)なものである。  

 この日は 乗船待合室に修学旅行生の一団が大勢いたので 混雑を避け学生たちよりも先にタラップを上がり乗船した。  足早に寝床を確保し 早々に風呂へ向かうとすでに先客が一人いた。 
 挨拶をすると この船をよく利用する長距離トラックの運転手だと云う。  関西弁だったのでてっきりその地方の方かと思ったが 話すうちに生まれは九州大分の杵築(きつき)だと知る。 

 運んでいるものは何だと聞くと  毬栗頭(いがぐりあたま)に多少白髪も混じり 強面(こわもて)の運転手は大きく頷いた。

「千両と万両ですねん」
 自前の石鹸を 頭の上で掻き回しながら言う。 勢いよく石鹸の付いた短い髪を洗うものだから 見事なほど泡立ち みるみる白くなっていった。  その仕草が あまりにも小刻みで素早く 可笑しくて笑うのを我慢しながら

「お金 運びですか?」 と聞くと 彼は瞑(つむ)ったままだった目を大きく見開き
「ちゃう ちゃう 千両の実イと万両の実イゆうて 正月とかにお飾りで使う ホラ 緑の葉っぱに 赤いちっさな実イ つける木イがあるやん」
 と 気忙しく言った。 

「千両は 葉っぱの上に真っ赤な実イつけて 万両の方は 葉っぱの下にぶら下がるように実イ付けるや」 
 
さらに 関西方面でも正月に多く使われるので 繁忙期には 大阪九州を 日帰り往復の仕事が続くらしいとも 教えてくれた。       
それまで「千両の実」は知ってはいたが 同類で他に 十両 百両 万両までもあるとは思いもよらなかった。
二人で湯に漬(つ)かった頃 窓の景色が動き出し ようやく船は岸壁を離れ出港。 大きな船なので 揺れていることはそれ程感じなかった。
 
「ほんなら 金木犀(きんもくせい)があって 銀木犀(ぎんもくせい)があることは 勿論知らんやろなあ」 
彼は 湯船のお湯を掻き混ぜながら笑って云った。 その通り 世間知らずの私は金木犀は知っていたが 残念ながら銀木犀も存在しているとは 教えて貰うまではまったく知らなかった。 恥ずかしながら笑われるのは 当然至極(とうぜんしごく)御尤(ごもっと)もである。
 
 湯から上がり 粋な暖簾を後にして デッキへと向かった。 
船のスピードはそれほど速くはない。 現代の旅行手段での船旅は 断然遅い部類に入るであろう。 海夜風に吹かれながら夜空を見上げれば 満天の闇に満天の星が広がる世界 しかも風呂に入りながらの旅ができるなど 最高の贅沢ではないだろうかと感じていた。  
 遠く宮崎の街灯りも見えなくなり 大海原の船旅心地よく 階下の船室へと戻る。  そこでは賑やかに 修学旅行生たちの楽しそうな声が響き 想い出づくりに輪が広がっていた。 私の寝床は そこより離れていて入口のすぐ近くにとっていた。  別段騒がしくもなく 横になり暫くしたらすぐに寝入ってしまった。 
 
 別に眠れなかった訳ではないが 明け方四時頃目が覚めたので一服しようと客室フロアーへ出た。 
船内に設置されてある船の航位・航路表示モニターに目をやると 船の現在位置は室戸岬沖で 航路がちょうど紀伊半島と四国の間 紀淡海峡へ向けて方向を変える辺りだった。  
 大型テレビの前 波の揺れで動かないように固定されてある椅子に 年配の男性がひとりで座っていた。 見ると頭にはタオルを捻じり鉢巻き姿で 日本酒をちびりちびり呑んでいる。
 一服し終えてどちらともなく 話し出すと 住まいは最後まで口にはされなかったが 生まれは九州熊本の方だと云う。 集団就職で都会へ出て 帰省の旅費を切り詰めるのにあらゆる旅行経路を探し これまで帰省し続けてきたと話してくれた。  ある年は 大阪から船で瀬戸内海を抜け大分へ入りそこから汽車を乗り継ぐ道。 関西方面から日本海側を列車に揺られ下関まで出て 関門海峡を渡りそこから九州へはいる経路。昔は夜行列車が多く走っていたのでいろンな帰省道を楽しんだそうだ。

「寝酒に手をつけたら 寝られなくなってしもうたですもんね」と 捻じり鉢巻きの熊さんはぽつりと呟いた。  
 思い出に残る旅はあるのかと聞くと 

「やっぱり 夜行列車で乗り継ぐ旅やね 飛行機とかは好かん。 窓の開けられん列車じゃあ 面白くなかろうもン。 だけんが 最近は夜行列車も限られてきて 少なくなってきよったのが さみしかあ」 
 と小さなお猪口を片手にしみじみと語る。 
酒を呑めない私には その愉しみは未だわからないが しみじみとくる想いだけは 同感できる旅仲間だ。  窓の外は白々と明るくなり始め やがて陸地を望み大阪の街が見え出した 船の中でのことであった。

船の甲板 警笛響く
<大阪湾へ入り 船の甲板より警笛響き渡る。>

志布志航路の船と大阪湾
<船旅12時間 志布志航路の船が船尾に現れ ほぼ同時刻に大阪南港に接岸する。>

5月 06

 鮮やかな記憶として 今も心に焼き付いている。
当時私は 典型的な野球小僧だった。明けても暮れても 野球の事が頭から離れず 何をするでも そこへ行きつく。

 或る日 日本中を熱狂の渦に巻き込んだ 若きヒーローと出会った。 いや 正確には遠くから その姿を仰ぎ見た。 彼は 高校球児の誰もが目指す檜舞台の甲子園で 出場する度に大活躍し プロ・アマ球界から注目されていた。 彼の一挙手一投足が テレビ新聞雑誌を賑わし 加えて国民的憧れの存在。 野球センス 実力ともに素晴らしく 野球の親子鷹としても有名であった。 その彼が在籍する高校が 地方の我が郷土に招待試合で訪れた時の事。 
 私は 招待試合前の 練習風景をどうしても見たく 練習用に充てられた 古い球場の外野観覧席に座り待っていた。 暫くして 練習着ユニフォーム姿の彼らが グラウンドへ現れた。 テレビで観ていた憧れの存在が 現実に自分の目の前にいる その感動は 高鳴る鼓動と唇にさえ渇きを覚えた。 選手が勢揃いし ランニングに柔軟体操 ひと通り体を解(ほぐ)した後 キャッチボールは始まった。 すると 「注目の彼」一人が ベンチに残る監督に呼ばれ走って行く。 その姿を追いかけ凝視するも ベンチに入り見えなくなった。 時間にしてほんの僅かであったろう 「注目の彼」は出てきた。 遠くからでもはっきりとわかるほどに その頬は赤く 目には涙をいっぱい溜めていた。 ベンチの中で 監督と「注目の彼」との間に何があったのかは 確かめようがなかったが その直後 彼らの練習に取り組む姿勢が 明らかに変わったのだ。 ひとつの動きから声の張りに至るまで 当初の時と比較して まるで別人たちのようであった。
 
 打撃練習に変わる。 通常本塁ベース上付近に打席を構え 打ち込み始めるのだが 「注目の彼」は十数メートル後ろの バックネットのすぐ前に立ち 打撃練習を始めたのだ。 その不思議な行動の疑問は 瞬時に解き明かされた。 
 彼の打った打球は 92メートルの左翼フェンス ポールよりも更に高い所を通過し 球場の外 4車線の道路をも超え 向かいにある競泳プール場 観覧席最上段の壁に直撃した。 それまで見たこともない バットスウィングの速さから繰り出された打球。  しかも 三塁手のわずか頭上を ライナー性で越えたかと思ったら そこから一気に加速し大きく弧を描き 遥か場外へ飛んでいったのだ。  これが プロ野球界からも注目され 日本中を沸かせる打球なんだなあと驚いた。 彼は 高校生で 私は 野球小僧だった。  本当に小僧だなあと 痛感した瞬間でもある。 その後の 招待試合も勿論観戦したが 結果のほどは まったく覚えてはいない。
 
 余談がある。 この時私は 球場のグラウンド整備と 試合中のボールボーイを任されていた。 招待試合が始まる直前 突然の大雨で試合開始は大幅に遅れたが 球場を去る観客は一人としていない。 球場へ訪れた人皆が 時の若きヒーロー その活躍する生の姿を見たいのだ。 
 みるみるグラウンドは水浸しとなり 当然私は 水はけ要員の一人として バケツと雑巾を持たされ ベンチ裏通路でワクワクしながら待機していた。 同じ姿のその数は 二十数人全員野球小僧たちだ。  私は 憧れの選手と同じグラウンドへ出られるということ たとえ それがグラウンド整備であろうが関係はなく 同じ場所にいるという事が たまらなく嬉しかった。  
 小降りになりだした雨 西からは晴れ間も見え始め 場内アナウンスが流れた「只今から グラウンド整備に入ります・・・」それを聞いた途端 一目散に 内野目掛けて走り出した。 場内の観衆からは笑いと拍手が起こっていたが 少しも気にならなかった。 ただ憧れの人が守る 守備位置目掛けて全力で走っていた。  
 そこは「注目の彼」が守る 三塁ベース付近。 私は 即座に持ってきたバケツと雑巾で 無心に水を吸い取る。 すると まさか自分だけかと思っていた聖域に もう一人同じ姿があった。 これにはびっくりしたが 構ってはいられない 黙々と濡れた雑巾をバケツに絞る。  雑巾部隊の活躍によりグラウンドは水がひき 新たに土が撒かれ 二十数名の野球小僧たちは 仕事を終えてベンチ裏へと戻った。  間もなく試合開始のサイレンが 晴れ渡った真っ青な空に鳴り響いた。   
 この時三塁で 水取り作業をしていた同じ思いの野球小僧 その彼とは 未だに当時の話で盛り上がる。 二人とも現役は 遥か昔に引退はしたが「注目の彼」のお蔭で 親友という縁の結びつきだ。  お互い野球小僧だった時代 それはそれは たのしい思い出である。

 今年 「注目の彼」が再び脚光を浴びている。
同じ野球の舞台として 背中に日の丸を背負い 今度は世界を相手にする。 ベンチから采配(さいはい)を振るう総指揮官だ。 
 
 「注目の彼」に忘れないでいてほしい事がある。  
あの時 高校生だったあなたが ベンチにいる監督に呼ばれ 全力で走って行った時の事を。  

忘れないでいてほしい  その時 監督が男として伝えたかった想いを。  
忘れないでいてほしい  あの時 ベンチから戻ったあなたの姿を見て 全員の意識が一つになった事を。   
忘れないでいてほしい  監督という孤独と戦った 男親の脊中を。

市営球場入口

鴨池市民球場 正面玄関。
入口に建つ像は 「野球」という言葉を創りだした創始者 中馬 庚。

市営球場三塁側から松林を眺む

「市営球場」という呼び方は 通称であった。よく見ると「市民球場」と描かれてある。 ここでの思い出は無数にあるはずだ。 数々のドラマを生みだした昭和の時代。 年代を超え 語り尽くせぬそのワンシーンは この古びた「市営球場」に訪れた人の数だけある。  

5月 06

 冬場れの日 九州は太平洋岸 温暖な宮崎 奥床しい児湯(こゆ)郡 木城(きじょう)町を訪れた。

 新宿での取材を渋々途中退席し 羽田空港へ向かう。 空は鈍より雨雲が立ち込め 気流の乱れを案じたが 有り難いことに離陸直後睡魔が訪れ 目覚めた時は 眼下に海面を見下ろす 着陸寸前の宮崎空港間際だった。 空港と直結する宮崎空港駅から 特急列車で約三十分 高鍋駅へ着いた。 
 辺りは帳(とばり)が落ち ホームへ歩き始めると左手 闇に包まれた中に 薄っすら 白く大きな文字が浮かび上がっていた「孤児の父・・・」と。 気になったが 役場の方がわざわざ迎えに来ているはずなので 足早に改札へ向かう。 そこから車に揺られ 小丸川の河川敷に広がる 川原自然公園を目指す。
 この地に限らず 過疎化の進む地方では 人口減少に苦慮する自治体が多く ここ木城町も 町をあげて対応策を講ずる。 その一環事業の取り組みとして 二泊三日町へ滞在 宿泊体験を通じ 土地の良さを認識してもらい 観光として訪れてくれる人或いは ここへ移り住む人を歓迎する企画だ。

 遅れて到着した初日の夜 先に入っていた年老いた両親の 無事な笑顔があり ひと安心する。
既に始まっていた地元の方々との酒宴に加わり 旅の疲れを払拭(ふしょく)。岡山から来た若い家族連れと同席し 話は盛り上がり 地元の古謡も聴くことができ 楽しい夜を満喫。 宵も更け 公園内に敷設されたコテージで 満天に広がる星空の下 小丸川のせせらぎを聞きながら 親子三人床についた。

「闇は 人を研ぎ澄ます  瀬音は 人に安らぎという 穏(おだ)やかな時を与える  
  深遠(しんえん)なる夜 その尊い萌(きざ)しは この山里に生れ この川に育まれる
間(ま)のある景色は 美しい  風の見える風景は 麗しい
  風を想う そよかぜと書こう  川を想う せせらぎと記そう
木は 生命(いのち)宿す道 風 やさしく  空 はてしなく
 城の上に 月 星みちびき  太陽誕生」

太陽が昇る前に 目が覚めた。
 木々に小鳥が囀(さえず)り 穏やかな朝。 鳥の眼で俯瞰(ふかん)し眺めるとおそらく コテージのあるこの場所は まるで箱庭のような景色だろうと想像しつつ 木の扉を静かに開けた。 南国とはいえ季節は冬 真白き霜が地面を覆い 足元は悴(かじか)む。  暁闇(ぎょうあん)眠る山の端に 下限(かげん)の月が朧(おぼろ)げに姿を残して 次第に時は動き出す。 谷合を縫うように流れくる 川面に立つ白き湯気 流れとは逆に上っている。 凛と背筋心肺 身は引き締まる。
 
河原に足を踏み入れ 足場になる石を見つけながら 川下へと歩く。
 目の前に現れたのは 海に浮かぶ小島を想起させる 木城百景 渓谷流麗な川中の島だった。 自然が創り出すその神秘的造形美は 神々しいまでの景観を生み 絵にも描けない美しさという言葉は 見事な事実だと確信させてくれる。 自然の地形を活かし 人の手による開発は最小限に留め 造成された風景の美しさ。 それは そこに住む人の心の美しさであり 圧倒的な感動をもって映し出される。 思わず手を合わせ 拝みたくなる景色とは 紛れもなくこの地である。

昼 役場の方々に案内して頂き 出向いた先は 彼(か)の文豪 武者小路実篤の遺志を継ぐ 石河内地区「日向(ひゅうが)新しき村」。
 かつて この村へ入る時は 川を渡る船でしか経路がなかったという。今でもこの地では ひとりの翁が 畑を耕し 水田を起こし 家畜を養い 自給自足の生活を営まれている。

焚き火を囲んで ここでの生活を訥々(とつとつ)と語る翁。
 「ここには何もないですねと人は言うが それは間違いだ。 この土地には 人が暮らしていく上で必要なのものは 全て自然から与えられている。 それを 我々は知ろうとしないだけだ」
長年 自然を相手に暮らしてこられた翁の 揺るぎない想いと静かな情熱は 人としての豊かさを感じた。
 
 村を訪ねた者に対して 持成す料理は 昨日まで飼っていた豚を捌(さば)き 薪で火を熾(おこ)し 大鍋の中に採れたての野菜を入れ じっくりと豚肉と煮込む。 火力を上げるため さらに薪を焼(く)べ 鍋を囲み箸で啄(ついば)む。  まさに自然からの尊い生命(いのち)を頂く有り難さ 極上の味に感謝の一言である。
 自然の中で生きる事とは 自然のチカラのお蔭で 生かされていると 改めて実感できる。 人が人として 本当の豊かさを求めるのであるならば この地はまさに その答が 山にあり 川にあり 人にある。 この素晴らしき風景 穏やかな時の流れ 二泊三日の通りすがりの旅ではなく 今一度(いまひとたび)訪れ 大いなる自然 恵みの中に身を委ねようと思う。  その時まで 瞼(まぶた)の奥にそっと蔵(しま)っておく事としよう。

小丸川に川中島

木城町 川原自然公園 小丸川に 川中の島
   「風景の美しさは そこに住む 人の心の 美しさ」

日向新しき村 実篤さんの記念館を眺む

「日向新しき村」 実篤さんの記念館を眺む

日向新しき村を展望す

木城町 石河内地区 山の展望台から眺める 雄大な景色
 「そこには 人が人として 人になる 穏やかな営みを 風景の中にも映し出す」