4月 09

【無縁仏と「女将さん」】

 近所の人から「女将さん」と呼ばれている良さん家(ち)の奥さんは いつも泥に塗れていたが 何処となく品のある物腰が「女将さん」と呼ばれている所以(ゆえん)なのかと 勝手に思っていた。

町からは 少し離れた山間(やまあい)に住む 父親の友人 良さん家(ち)の畑である。 
 一月下旬に綻(ほころ)びだした梅は 二月に入ると満開となった。 畑では 良さんの奥さんが頬被(ほおかぶ)りをして 野良仕事に精を出していた。畑から引き抜かれた大根は 天日に干され 飛切り美味い漬物になる。
 
 味のある家並みに 里の風景が優しく この辺りの全景を撮りたいと思い 坂を上がる。  茂る草に隠れ 小さな墓が在るのに気がついた。 よく見ると「南無阿弥陀仏 無縁仏」と刻まれてある。  手を合わせ 墓前を過ぎた先に 小ぶりの社(やしろ)が大木の根元に祀(まつ)られ 花が飾られてあった。 頭上遥か高いところから 木の枝が垂れ下がり 欝蒼(うっそう)とした森を創り 木漏れ日が僅(わず)かに差し込んでいる。
 社を覗き込んでいると 後ろの竹藪から音がするので振り返ると 何処かの猫がこちらをじーっと見ていた。 邪魔するのも気が引けるので もと来た道に戻る・・・。と 坂の下から農作業姿の御老人が上ってきて 「この辺りは 墓が沢山あったんだ」と指差し 「ほら あそこにも」 見ると家の玄関近く 敷地を守るように祀られて在る。 
 無縁仏の謂(いわ)れを尋ねると「この道を通す時 骨がわんさか出てきたんだ そん時 あそこに移して供養したんよ」と語ってくれた。 その話の先を知りたかったが 坂の上の畑に向い 姿が見えなくなった。
 
良さん家(ち)の畑に戻った。  
 畑では 大根を一本ずつ引き抜く 腰の曲がった「女将さん」の姿があった。  白菜 人参 大根を持って帰れと手渡され 両腕で抱えきれないもので 少しばかり往生したが 有り難く頂いた。 

帰り際 「女将さん」に無縁仏の事を聞いた。
 
 昔 この辺りの山からは 鉱石の錫(すず)が採れていたそうだ。  近くには 温泉もあり 鉱山で働く多くの鉱夫が 仕事の疲れを癒しに訪れていたと云う。  町には 温泉宿に料亭 芸者屋 遊女屋 置屋などが軒を並べ 花街として賑わっていた。  時がたち いつしか錫も採れなくなり 鉱山は閉鎖 活気のあった温泉街も客足は遠のき 料亭や花街界隈の灯も 少しずつ消えていった。  やがて町は廃(すた)れ 住む人も代が変わり この土地がかつて 華やかだった頃の面影も消え失せる。  花街で暮らして居た女衆の大半は 当時 貧しい時代の波に翻弄(ほんろう)され 若くして身を売られて来た娘たちであった。  日々稼いだ金を自ら使う術もなく 田舎で細々と暮らす家族に仕送りし続けてい
 た。 送り届けられるのは金であっても 懐かしい生まれ故郷に 我が身が帰ることはなかったと云う。 この地で過ごす日々が長くなるほど 家族の待つふるさとは 彼女たちにとって 余りにも遠くなっていった。 
表向きは 煌(きら)びやかな着物を身に纏(まと)い 派手な生活の様にみえたが その心の内は どれほど寂しかったであろうか。  
 大勢いた女衆も 歳をとり老いていく ひとり またひとり 名前の刻まれていない石だけが増えていく。  木々に覆われた小高い丘には 村を抜ける為の道を作ることが決まり 造成で掘り起こしが始まった。 すると 土の中からは 無数の人の骨が出てきた。 「女将さん」は迷うことなく 新しく墓を造ったという。

  石に刻まれた文字は 無縁仏とあるが その謂(いわ)れを知ったら もう無縁の石ではない。 今では花を手向(たむ)ける人があり 線香の仄(ほの)かな煙も燻(くゆ)り立つ。石の傍(かたわ)らには 寄り添う様に 可憐で小さな野菊の花が そっと微笑みながら咲き誇っていた。

 近所の人から「女将さん」と呼ばれている良さん家(ち)の奥さんは いつも泥に塗れていたが 何処となく品のある物腰が「女将さん」と呼ばれている所以(ゆえん)なのかと 勝手に思っていた。