11月 26

北紀行【北海道 上磯部郡 木古内町】

 写真は、最初の到着駅の木古内駅近くから眺める津軽海峡青森側。

 木古内(きこない)町は 北の大地の始発駅。
 写真は津軽海峡を望む浜辺に建つ像、明治初期幼くし目を患いながらも貧しい家庭を支え「つけ木(マッチ)」を売り歩くなど、孝養心を持ち生きた実在の人物。清き人心を今に伝える『木古内の坊』には、数多くの伝説が残る。

11月 26

北紀行 【青森「蟹田駅」】

【棄てられている日本の野菜を活かすため、北海道は富良野へ向かって各駅鈍行列車で行く行商旅】の途中、「蟹田駅ホーム」にて。 青森津軽海峡線の列車で、電車専用青函トンネルで北海道へ渡る。

11月 01

【前略、北の大地樣 2008夏 (前編)】 ~感謝! 感激! やはり 北海道 富良野は素晴らしかった!~

北紀行 【八戸駅】

北紀行【青森「西平内駅」】写真

~感謝! 感激! やはり 北海道 富良野は素晴らしかった!~

 24年間想い続け、ようやく「敬慕」する富良野を、仕事として尋ねる事が出来た(厳密には「立志式」を終えた中学生の頃からの想い)。
 
 東京で、旅の手立てに苦慮していた時、かつて面識のあった交通新聞社の編集部を思い出し、迷惑覚悟で電話した。流石その道のプロは、さほど時間も要さず、有り難いことに見事!お得なキップを見つけて下さった。
『JR北海道&東日本パス(鈍行普通列車で、乗り継ぎながら行く北海道5日間限定1万円乗り降り自由フリーパス券)』なる乗車券。それを頼りに、北の大地美しき季節北海道は富良野を目指した。

 平日の7/11(金)早朝7時過ぎの東京駅は、件の混雑がすでに始まり、京浜東北線で上野駅へ出て、北行き東北本線ホームを捜した。   
 今回も相棒は、極小の折り畳み自転車「ミニウォーカー」を輪行バッグに入れ、交通新聞社発行の時刻表を、長旅の友として列車へ乗った。
 どれくらいで富良野へ辿り着けるのか、見当もつかぬままの旅立ち。 昨年暮れ、東海道を自転車で東京から大阪へ向かった時と同じ、今回も宿も決めず、行き先だけを目標に向かった。
 
 アスファルトに覆われた都会から離れ、暫くすると作付けを終えた畑に、水面を若緑色に染めた水田の広がる、黒磯駅へ着いたのは10:45。
 乗り継ぎのため、11:20までホームのベンチで待つことに。すると突然、隣に坐っていた女性が話し出した。
『!!!家さ電話してエ・・・。 ---ンだからア~。 声エ聞いたからア~、 元気イなったよオ~』と携帯電話で声高に話す語り口調は、いつもなら嫌悪感が残るところだが、土産満載になった手提げ袋の女性は、、どこか懐かしく優しい温かみを感じた。
 11:20に黒磯駅を出た二両連結ワンマン列車郡山行き。 乗り降りする時、扉の横に手動開閉ボタンがついているのが、目新しく、揺ったり走る列車の車窓からは、やがて山々の木々に赤松が見え隠れし、空は高く風は夏を呼び起こしていた。
 郡山までの車中、いつもの手作り弁当を食べ終え、、福島駅へ着いたのが13:28。14:00には発車し、次の乗換駅の小牛田(こごた)到着が夕方16:25。
 閑散としていた車内に、学校帰りの高校生の一団が乗車してくると、一気にその土地の生活感が漂ってきた。電車通学の経験はないが、毎日乗り合う列車では、きっと気になる人へ、心トキメク想いを乗せて走っているのだろうなと眺めていた。 
 {北海道なら飛行機で一気に行けば、時間もかからず楽に行けるのに・・・}と思われるだろうが、何せ24年分の想いがあり、歳月の永さと距離の長さを、ゆっくりかみ締めたかった。今時、こんな時代遅れの輩(やから)が、一人位いても罰は当たらないだろうと思いつつ、賑やかになった車内から、遠ざかる景色を眺めていた。
  青い春達を乗せた列車は、ドアが開く度に花火のような瞳を輝かせ、やがて岩手県一関駅から盛岡駅まで、乗り降りを繰り返し走り抜けた。
 坐り通しの旅の愉しさは、過ぎ去る景色を眺め入ることは勿論、乗り継ぎ時間の間(ま)にあることに気がついた。
 各駅停車の列車に揺られること約16時間、ようやく青森県へ入った。本州は越えられず、雨の雫が窓を濡らし始め、夜も深まり、奥州陸奥(みちのく)をひた走った静かな列車の旅は、ここ八戸までとして、明日また北海道を目指すことにした。