24年間想い続け、ようやく「敬慕」する富良野を、仕事として尋ねる事が出来た(厳密には「立志式」を終えた中学生の頃からの想い)。
東京で、旅の手立てに苦慮していた時、かつて面識のあった交通新聞社の編集部を思い出し、迷惑覚悟で電話した。流石その道のプロは、さほど時間も要さず、有り難いことに見事!お得なキップを見つけて下さった。
『JR北海道&東日本パス(鈍行普通列車で、乗り継ぎながら行く北海道5日間限定1万円乗り降り自由フリーパス券)』なる乗車券。それを頼りに、北の大地美しき季節北海道は富良野を目指した。
平日の7/11(金)早朝7時過ぎの東京駅は、件の混雑がすでに始まり、京浜東北線で上野駅へ出て、北行き東北本線ホームを捜した。
今回も相棒は、極小の折り畳み自転車「ミニウォーカー」を輪行バッグに入れ、交通新聞社発行の時刻表を、長旅の友として列車へ乗った。
どれくらいで富良野へ辿り着けるのか、見当もつかぬままの旅立ち。 昨年暮れ、東海道を自転車で東京から大阪へ向かった時と同じ、今回も宿も決めず、行き先だけを目標に向かった。
アスファルトに覆われた都会から離れ、暫くすると作付けを終えた畑に、水面を若緑色に染めた水田の広がる、黒磯駅へ着いたのは10:45。
乗り継ぎのため、11:20までホームのベンチで待つことに。すると突然、隣に坐っていた女性が話し出した。
『!!!家さ電話してエ・・・。 ---ンだからア~。 声エ聞いたからア~、 元気イなったよオ~』と携帯電話で声高に話す語り口調は、いつもなら嫌悪感が残るところだが、土産満載になった手提げ袋の女性は、、どこか懐かしく優しい温かみを感じた。
11:20に黒磯駅を出た二両連結ワンマン列車郡山行き。 乗り降りする時、扉の横に手動開閉ボタンがついているのが、目新しく、揺ったり走る列車の車窓からは、やがて山々の木々に赤松が見え隠れし、空は高く風は夏を呼び起こしていた。
郡山までの車中、いつもの手作り弁当を食べ終え、、福島駅へ着いたのが13:28。14:00には発車し、次の乗換駅の小牛田(こごた)到着が夕方16:25。
閑散としていた車内に、学校帰りの高校生の一団が乗車してくると、一気にその土地の生活感が漂ってきた。電車通学の経験はないが、毎日乗り合う列車では、きっと気になる人へ、心トキメク想いを乗せて走っているのだろうなと眺めていた。
{北海道なら飛行機で一気に行けば、時間もかからず楽に行けるのに・・・}と思われるだろうが、何せ24年分の想いがあり、歳月の永さと距離の長さを、ゆっくりかみ締めたかった。今時、こんな時代遅れの輩(やから)が、一人位いても罰は当たらないだろうと思いつつ、賑やかになった車内から、遠ざかる景色を眺めていた。
青い春達を乗せた列車は、ドアが開く度に花火のような瞳を輝かせ、やがて盛岡駅から岩手県一関駅まで、乗り降りを繰り返し走り抜けた。
坐り通しの旅の愉しさは、過ぎ去る景色を眺め入ることは勿論、乗り継ぎ時間の間(ま)にあることに気がついた。
各駅停車の列車に揺られること約16時間、ようやく青森県へ入った。本州は越えられず、雨の雫が窓を濡らし始め、夜も深まり、奥州陸奥(みちのく)をひた走った静かな列車の旅は、ここ八戸までとして、明日また北海道を目指すことにした。
〇平和な森 焚き釜戸前(早朝)
歯磨きを終えた平さんが
『くる所まできたな・・・』とポツリと呟いた。「何がですか?」と問い質す。
『当世、誰でもいいから、人を殺したかったなどと吐かしやがる』タオルを絞り、渇いた土間に打ち水をしながら『目的がねェンだ!。どん底まで堕ちてねェから---、中途半端に諦めっから』
〇水の入った鍋に、都会で生きる野雀が水浴びを始めている
「亡くなった方、浮かばれいっすね」『そりャあ~勿論だが、殺ったヤツァなァ愛情が足らねェまま育っちまったンだ・・・。生きモンは自分一人だけじゃあ生まれてこられねェだろ!』
〇水浴びの雀に飯粒を与える平さん
『そうゆう人間を作っちまった周りも同罪なンだ
!。汗水垂らして生きてみろ!感謝の気持ちを育ててみろよ、簡単な事じゃねェか。そうすりゃ後に続く人間は、ほっといても真っ直ぐな心棒が育つンだ!』
〇鍋の中、次から次に野雀が飛沫(しぶき)を浴びて水浴びをしている。
北海道富良野へ発つ前の朝知り合った「丸さん」。彼が言い放った『朝方雷が鳴ったから、後一週間もしたなら梅雨明けだな』の一言は、都会の片隅でも自然と共に生きているからこそ、生まれる言葉だった。丸さんが何を生業としているかとか、その素性すら知るよしもないが、いつも作業衣姿に雨靴は都会の畑で生き抜くスタイルであろう。『あの山の向こうの水は、冷たくて美味いんだァ~』と多少残る、北国の訛りが優しさを感じさせる。水道の蛇口に2Lのペットボトルを据えて丸さんは言う『水は有り難い!こんな俺でも水さえ呑んでりゃ~、健康だもんなァ~』そう云いながら、森の中へ消えて行く丸さんの後を「猫の野良達」が数匹、戯れ合いながらついて行った。
学生時代の四年間、四畳半一間の下宿生活を福岡で過ごした。思い出は多い。
東京の下町、深川でイラストレーターの後輩に逢った。博多弁の語り口調が、学生時代の頃へ一気に引き戻してくれる。 その後輩から、原宿表参道のギャラリーで展示会をしているとのお誘いを受け、自転車を飛ばし駆け付けた。
「博多アートクラブ」と称し、福岡出身の7名のアーティスト達が、個性豊かに印象的な芸術作品を披露。福岡の風を東京へ届けてくれて嬉しかった。
今回が初めてとなる「芸術家福岡七人衆」の展示会。彼ら活動の場はそれぞれ異なるが、福岡の地で育った想いを忘れる事なく、郷土への熱き想いを胸に刻み活躍している心意気は、賞賛に値いする。展示会を見られる事ができ幸せだった。裕福な気持ちにもなり、本当に感謝である。
『博多福岡天神太宰府、渡辺通りに姪の浜、七隈六本松親不孝通り』これらの地名を聞いただけで思い出が甦る。福岡芸術家七人衆の次回展示会が、早くも待ち遠しい。東京で福岡からの風を再び吹かせてと願う。













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