青山大学公開講座第三回に参加して(1)
第三回は「精神分析と個人史ー私が私であること」と題して
クリニックおぐら院長・日本精神分析協会会長 小倉清先生から講義を受けた。
まず、フロイトについて、 オーストリアの精神科医。精神分析の創始者。精神症の治療に自由連想法を創始。初めて無意識の力動的過程や構造を研究して、治療法および深層心理学である精神分析を確立。精神医学・心理学・社会学・社会心理学・人類学・教育学などのほか、文芸にも多くの影響を及ぼした人である。
私達は、個としての自分をどのように意識するに至るのかを考えてみると、自分を個別的で主体的な存在として認識するためには、結局は自分の歴史をたどって、そこに一貫して
流れている感覚を確かめるところから始めるしかないはずである。それというのも自分の歴史はそれ自体、全く自分固有のものであり、それ以外ではありえないからでである。もし自分の歴史を何らかの理由で全く想起できなければ、どういうことが起こるか。それは昔から小説や映画などの主題などになったるが、今ここにいる自分というものが、全く分からない存在になる。自分が分からないとはどういうことか。思考すること、認識すること、判断することが出来なくなり、時間の流れの中でじぶんを継続的に感じることが出来なくなるのである。自分という存在の歴史は時間と共にある。その意味では時間と自分は同じものといっていいほどである。しかし自分の歴史といっても、その中で体験されたもののすべてが心地よいものであるとは、限らない。それどころか過去の体験として心に留置くことが極めて苦痛に満ちたものであることのほうが、むしろ多いのではなかろうか。余りに苦痛に満ちたものは自分の記憶から消しさらねばならないと感じられることはあるものである。といっても記憶にないものは存在しないとは言えない。過去に起こったことをそれとして認識することを否定したところで、それらがなかったことにはならないからである。
次に、患者の症例について話された中で印象の強いことについて紹介したい。
精神病に罹った人が赤ちゃんの時のことを鮮明に覚えていたこと。2歳の子どもが胎児の時の記憶を持っているというのである。母親の胎内にいるときのことをどうして覚えているのかと、問うとあんな苦しいことを覚えていられないという。苦痛に耐えて生きて生きていかなければならないのだ。無力な自分を迫害した・・・・だれが?
私達の私である自分の歴史を知らなければ自分でありえない。
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