2007/12/28 金曜日

青山大学公開講座第三回に参加して(1)

Filed under: 研究会参加 — fusako @ 17:16:20

第三回は「精神分析と個人史ー私が私であること」と題して
 クリニックおぐら院長・日本精神分析協会会長 小倉清先生から講義を受けた。
 まず、フロイトについて、 オーストリアの精神科医。精神分析の創始者。精神症の治療に自由連想法を創始。初めて無意識の力動的過程や構造を研究して、治療法および深層心理学である精神分析を確立。精神医学・心理学・社会学・社会心理学・人類学・教育学などのほか、文芸にも多くの影響を及ぼした人である。
 私達は、個としての自分をどのように意識するに至るのかを考えてみると、自分を個別的で主体的な存在として認識するためには、結局は自分の歴史をたどって、そこに一貫して
流れている感覚を確かめるところから始めるしかないはずである。それというのも自分の歴史はそれ自体、全く自分固有のものであり、それ以外ではありえないからでである。もし自分の歴史を何らかの理由で全く想起できなければ、どういうことが起こるか。それは昔から小説や映画などの主題などになったるが、今ここにいる自分というものが、全く分からない存在になる。自分が分からないとはどういうことか。思考すること、認識すること、判断することが出来なくなり、時間の流れの中でじぶんを継続的に感じることが出来なくなるのである。自分という存在の歴史は時間と共にある。その意味では時間と自分は同じものといっていいほどである。しかし自分の歴史といっても、その中で体験されたもののすべてが心地よいものであるとは、限らない。それどころか過去の体験として心に留置くことが極めて苦痛に満ちたものであることのほうが、むしろ多いのではなかろうか。余りに苦痛に満ちたものは自分の記憶から消しさらねばならないと感じられることはあるものである。といっても記憶にないものは存在しないとは言えない。過去に起こったことをそれとして認識することを否定したところで、それらがなかったことにはならないからである。
 次に、患者の症例について話された中で印象の強いことについて紹介したい。
 精神病に罹った人が赤ちゃんの時のことを鮮明に覚えていたこと。2歳の子どもが胎児の時の記憶を持っているというのである。母親の胎内にいるときのことをどうして覚えているのかと、問うとあんな苦しいことを覚えていられないという。苦痛に耐えて生きて生きていかなければならないのだ。無力な自分を迫害した・・・・だれが?
 私達の私である自分の歴史を知らなければ自分でありえない。

2007/12/1 土曜日

青山学院大学公開講座第二回に参加して

Filed under: 研究会参加 — fusako @ 22:11:19

第二回は、「子どもからー自分史をみつめるー」と題して
青山学院大学 学生相談センター専任カウンセラー 葛生聰先生から講義を受けた。
1.カウンセリングと自分史
 カウンセリングにおいて、自分史がどのように登場する
 か?自分史を語ることがどのような意味をもつか。また、                 

 自分史を見つめることがどのような意味をもつのか。 につ    いて、自分の歴史の中で繰り返されていることや行き詰っていることが見えてくる。など、カウンセリング場面での具体的な
解説があった。
2.子どもから大人へ
 子ども時代というのは、乳児期、幼児期、思春期、それ以降
青年期まで、と個人差がある。
 それぞれ、関わり方が違うが、自尊心を損なわないように
主体性をもたせることで、心が動き、責任感が自然に育つの
である。社会に対して安心感をもつのである。
3.自分史とは
 ① 自分史とは、自尊心の歴史
     ・何が幸せか?
 ② 自分史とは、主体性の歴史
感想
 私は、自分史を書くという事に関してどうしたら自分の経験や、思いを伝えることが出来るか、感動が伝わるか、或いは、
自分の生き方を知ってもらうか、などその表現についての学習をしてきましたが。葛生先生のお話をお聞きして、カウンセリングだけでなく、私達は人と話をするとき、相手が語る自分史からいろいろなことを推察しているのだと認識しました。                           

2007/11/26 月曜日

青山大学公開講座に参加して

Filed under: 研究会参加, 社会福祉関係 — fusako @ 9:50:50

 久しぶりに青山学院の校舎を訪れ公開講座の聴講をいたしました。
 「生きることと個人史」と題して、5回シリーズでした。
なぜ受講するかということですが、実は私が還暦の時自分史を
出版したことから、当時まだ、現在のようにブームではありませんでしたが、高齢化が進み、自分の生き方を見つめ、その足跡を
まとめて行きたいと考える人が出てきてしかも、私のようにもの書きでも人が書いたということで、誰でもかける自分史の作り方で
指導の依頼が増えました。中でも千葉県佐倉市は現在も続けていて、毎月作品を持ち寄り製本してすでに207号の発刊を果たしたおり、生みの親も勉強をしなければならないというのが、受講の
動機です。
 さて、第一回は「二つの自分史:<あったこと>と<わかったこと> と題して  青山学院大学名誉教授 小原 信先生の講義
でした。
 印象深い内容は、・私想史を考えるの意味についての
先生の考え方でした。例えば、見逃していた時間を読み直すことで
通り過ぎた時間を再認識でき、失われた時間を回復して、きづかないで来た新しい時間を創造できる。
 過去の事実の読み直しが出来る時、新しい意味づけが出来、
同じ出来事が違う意味を持つようになる。その結果、前より元気で
前向きなしせいで生きたいける。   という言葉でした。

次回も出席できたら、ごほうこく

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