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15年間のサークル・ダルメシアンの活動に関わって

img_7404.jpgチョットグラムに沈む夕陽)

15年前の日本は小泉総理による拉致被害者の方の一部が帰国といったニュースがありましたが、その一方で将来の右肩上がりの成長という希望を失くした日本人の虚脱感やあきらめにも似たムード(頑張っても報われない)が広がり、虚ろな目をした若者が徐々に増えてきた時代でした。

物作り日本の誇るべき中小企業や街工場の廃業、倒産が相次ぎ、中国や人権費の安い国に仕事がうつり、日本人の本来持っていた希望や技術、プライド、人間性がどんどんなくなって行くように感じました。

 

自分は子供がいないので、一般的な親の様に自分の子供の行く末を心配するということはありませんが、それでも若い人達の笑顔や、自分が若い時に感じていた空気と明らかに違う、そしてそれが年々悪くなっていくことに大変危惧を覚えました。

 

思い返せば2003年靖國神社での音楽法要(そもそも拝殿でのライブとかありえないような話しで、日本の歴史始まって以来の事)を一人で切り盛りする岡田先生との出会いがきっかけでした。

http://blog.info-square.jp/cdal/date/2012/06

一緒に活動のお手伝いをさせていただくことができ、早くも15年の歳月が経過しました。

このような事を可能にする岡田ユキとはどんな人なのか、今まで見たことがないタイプの人でした。

そして、この15年で普通に生きていては体験できなかった事を体験させて頂き、出会えなかった人達に出会えさせて頂く事が出来ました。

自分にとってはとても充実した日々を過ごさせて頂いたことに岡田先生には感謝しています。

 

しかし、残念ながら15年前の日本から比べると最近は日本という社会全体の方向性がが法治国家ではなくなりつつあると感じます。

法律を破れば本来は法によって裁かれ、それ相応の罰を受ける事が当然なのですが、いくら法を犯しても、色々な手立てを使って逃げ延びればよいという社会になりつつあります。

法律は人々の平等や幸福の為に存在するべきものですが、いかにその盲点や、論点をすり抜け、法の網をくぐって、やったもん勝ち、逃げたもん勝ちの、某国の徳治国家の様になってしまいました。

それどころか、司法の世界の平目化が進み過ぎ、裁くべき立場の人たちが全く仕事をしないために、ブラック企業による自殺やいじめ、虐待の問題は無くなるどころか増えています。

そして、多くの人がその根本的な原因と解決ではなく如何に自分が騙されないようにするか、巻き込まれないようにするかということに気を遣い、びくびくして生きている様な社会になりつつあると感じます。

 

さらに活動の中では自分を助けてほしいと助言を求めてくる人たちのなかにも、実はかまって欲しいだけで本当に苦しいわけではなく、最終的には助けて欲しくなかった、病んだままでいたかったという人も増えています。

あくまで、自分自身の体験の話ですが、昭和の時代は、音楽を仕事にしてお金を稼ぐという事が、今と違って努力すればした分見返りがありました。

また、応援して頂いた大人の方も多かったように記憶しています。

 

音楽の世界が下火になってきたと同時に、インターネット社会が本格化してきました。

15年前に比べると、一般の人のみならず、小学生やお年寄りまでスマホやタブレットを使う人も増えました。

情報過多の時代では、自分は自分だと思っていてもどうしても周りが気になってしまいます。

スマホやPC、タブレットといつもインターネットに繋がっている環境により、facebook、インスタグラム等のSNSをいつも気にするようになり、自分の本当にやりたいことがなく、むしろ自分が何をしたいのかを探している最中に、他人が書きこんでいる記事を読めば読むほど、自分が取り残されてている感覚や焦燥感があるのではないでしょうかしょうか?

 

そして、以前は変わり者、職人気質、偏屈、頑固といった言葉で形容されてきた言葉も、発達障害等の新しい言葉に置き換わり、また、それが一種のブームのようになって、むしろそれを周りの人たちにアピールする事によって自分を見る目を変えてほしい、自分をかまって欲しいという人達も増えてきました。(つづく)

 

岡田ユキの虐待心理研究所

 

3月 11 2019 | 伝えたいこと | No Comments »