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第27回いじめ・虐待防止フォーラムのご報告

【第27回いじめ・虐待防止フォーラム】

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 2014年平成26429()13:0017:15新宿区大久保地域センターで、市民活動団体の“サークルダルメシアン”主催による「第27回いじめ・虐待防止フォーラム」が開催された。

 第一部「岡田ユキ」による特別講演

【京都の建前と本音】

 私が育った京都庶民の文化風習の中に“ぶぶ漬け一杯どうどすか!?”と客人に対して問い掛ける語り口調がある。 これは、なかなか帰ってくれない長居する客人に「お茶漬けでも食べませんか」と、さも優しい笑顔で投げかけ、建前言葉とは裏腹に「そろそろいい加減に早く帰れ!」と催促させる本音の意味合いを、遠まわしに言う京都文化独特の言い回しとして使われるものだ。

 

【京都も関西系のノリ】

私の息子もこの京都の風土で育ち、関西系の“ノリつっこみ”の文化圏で小学一年迄過ごし、離婚(シングルマザー)と同時に東京へ引っ越した時、息子は二年生になっていた。 新宿区の小学校へ転校生としてきた息子は、転校一カ月で東京の生活様式にも慣れ標準語を話すようになり、クラスの仲間に溶け込んでいったのだが、ある時期から日増しに表情が暗くなりだした。 友達のことを話さなくなり、次第にけなす様な言動が目立ち始め、やがて『あんな奴ら、みんな死ねばいいんや』と吐き捨てるように、言葉がエスカレートしていった。―――ある日私が息子の担任へ電話したところ『じつは、息子さんはクラスのみんなと仲良くしている時、いきなり暴力を振ってくるんです。 私もそろそろお母さんへ連絡しようと思っていましたが、ご家庭で何か問題はありませんか』と言われた。 私としてはシングルマザーのうえに、経済的にも環境変化でも常に問題だらけの家庭だと認識していたので、担任の一言は非常にキツイ言葉だった。 ―――そのことを息子へ問いただしたところ、ビックリした表情で『エッ!僕は何もしていない。悪いのはアイツらだ』と、クラスメイトを名指ししたから、私も何か違うと感じて担任へ再び相談したら『それは岡田君が先に手を出すから、それに対してクラスメイトたちが岡田君へ手を上げているのだと思う』ということだった。―――この頃、同時期に学童保育でも同じようなことが起きていた為、私は息子に『アンタ!何しているのか』と、叱りつけてしまう状況になり、息子自身独りぼっちで孤独感の真っ只中に身を置くことになった。

 

【運動会で立場が好転】

 そんな状況下の時、学校の運動会に参加し息子のクラスでの様子を目の当たりにできた。 クラスメイトの輪の中に息子の姿があったが、彼は東京弁を使いながら関西のボケとツッコミを友達に対して行っていたため、軽いツッコミにもかかわらず相手は単に叩かれているような誤解を招いていることに私は気づき、その時咄嗟に関西弁でクラスメイトに横やり(良い意味で)をいれ、息子のフォローをするとみんなの印象が途端に好転し、息子のことを“面白い岡田君だ”と周りが認識し、一躍人気者へと変わった。 ―――この時、息子とクラスメイトへの臨機応変な対応は、母親の立場としても必死であった。 子どもの世界でも、異なる土地文化による相互理解不足で生じた「いじめ」は、芽生え始めた時に適切な対応が出来れば、何ら問題はないという実証例だと思うので、どうか参考にされてはと思う。

 

【親の常識】~クラシック音楽を聴いていた家庭と、J-pop(歌謡曲)系を聴いていた家庭とでは、家庭文化が違っている!?~

 私の育った家庭では、父親の学歴コンプレックスがあり、クラシック音楽を聴くことによって、より人格が高められるものだと誤解をしていた。 私の知人である大学教授のご家庭でも、クラシック音楽を日常的に聞き流し、子どもには幼少期からピアノを習わせている家庭環境だった。 確かに情操教育には良いと思うが、どちらも(父親も大学教授家庭)J-popを聴いているような家庭の人はアホだ!』と見下した見方をして自分たちが全て正しく、他の家庭は間違っているというような躾の雰囲気だった。 私の父親から言われていたのは『クラシック音楽を聴かない人たちは、アホやから近所のやつらとは遊ぶな!』とか『彼らがしていることはダメやから近づいたりするな!』と、事あるごとに家庭内で教えられて育った。 それでも私は、よその家庭で遊ぶことが楽しく足を運んだが、 家に帰って来るたび親からは他人の家の悪口を散々聞かされ、マイナスなことしか言われなかった。―――子どもなのに、生意気なことを言ったりする子は、上記のような親に洗脳されている可能性があると思っていい。 本人は友達と仲良くしたいのだが、仲良くすることができない・・・というより親から断ち切られているから、仲良くする術を知らない。 そのため周囲からいじめられる存在になったり、引きこもり状態に陥って、その年月は十年間も続いているような状態にある。

 

【♪ジャズという音楽ジャンルは…】

クラシック音楽を聴く人にとって、さらに上の段階にあると感じる音楽ジャンルがジャズである。―――楽器を演奏する人の性格に、面白い心理的傾向がみえる。 例えば音楽バンドを組んでいる人たちで、ボーカル(シンガー)・ギターリスト・ベーシスト・ドラマーの四人組バンドの場合、演奏する楽器の種類によって、演奏者が持つ性格の違いが現れる。

 ギタリストの性格は子どもっぽい人が多く、ベース(4弦ギター)を弾く人の場合、マニアックで偏屈っぽいタイプの人だ。 バンドの中では、このベースの存在が最も重要なのだが、一番目立たない存在でもある。 ボーカリストやドラマーの人は異性好きで、すぐに人と親しくなりやすく友人が出来るのが早い。 その他管楽器のサックス奏者だと、世間一般の遊びというようなことはせず、仕事が終わったらすぐに家へ帰るといった愛妻家で、浮気とかはしないタイプ。 トランペット奏者の場合だと非常に異性好きで、例えば離婚したとしても、すぐにまた結婚するタイプである。 ピアニストの場合だと、神経質な傾向で真面目な人が多い。―――これらは、人を見分けるひとつの目線として、参考にして頂きたい。

 

 

【躾と虐待の違い】

~同じ暴力を振われても

虐待と受け取る人と そうでない人がいる~

私が息子を育てていた時、当時息子に手を上げて叩いた時があった・・・時には足蹴りしたことも。 息子が小学校三年生の頃担任から『お母さん!息子さんを蹴らないで下さい』と言われたことがあった。これは、息子が体育の授業を休む口実として『母親に足を蹴られて痛いから』という理由がきっかけだった。 担任教諭に相談した私は、私と息子の父親のいない家庭環境の実情を伝え、学校でも父親目線によるフォローをお願いしたところ、担任が若い男性教諭であったため協力して頂き、家庭で補えない部分を補助してくれるようになり、徐々に息子の日常行動も改善していった。―――この頃、母親として息子へ接してきたことは、私が手を上げた時“なぜ叩いたか”の理由を繰り返し本人が納得するまで説明した。 息子は次第に理解できるようになり、本人は虐待を受けていたと認識することはなく“厳しい母親の教育躾だった”と、成人した頃当時を振り返り話してくれた。

【躾ではなく虐待になる親とは】

 単に親自身の気分の悪さを、子どもに感情の“はけ口”対象として向けてしまう。 このような親に限って子に謝ることはなく、理由や答えを言わず「?(子の気持ちに疑問符だけを植え付けて)」『お前が悪いから殴ったんだ!』と一方的に決めつけてしまう。―――虐待を受ける子どもは皆とても素直であるのだが、親が事あるごとに気分で責め立てるので「自分は悪い人間なんだ」と思い込んでしまっている。 子は“自分の親は弱い人間なんだ”と判っているので、親の側も自分の苦しい胸の内を子に伝えることをすれば、親をしっかりとサポートしてくれる存在なのである。 “親が自分自身の弱味をかくさず言えるかどうか”が、「虐待と躾の境目」なのだと思う。 ある程度手を上げる行為が発生しても“明確な言葉の説明”を子に対して行うことにより、虐待の暴力から厳しい躾に代わり得る。

 

《会場参加者から声》

『昔の家庭環境では威厳ある父親がいて怖い存在だったと思うが、この仕組みが良い方向へ展開して家族構成が保たれていた。現代はこの部分が悪い方向へ向いていると感じるが・・・』

岡田 『そうですね! おっしゃる通りだと思います』

 

【責任ということについて】

今の日本人が、人として生きていくうえで一番欠けている点は、自分自身の責任範囲を充分理解していない点だと思う。この典型的な例が政治家だ。 他人の政治資金運営について不正な点を指摘はするが、自分の身に起きた政治資金運営が世間の反感をかった時、いきなり議員辞職するといった行動に出る。 メディア報道などでよく目にするが、他人の不正を過度に追求する人に限って、同様のことをしていたりするケースが多い。 国民から選ばれて、国民の為になる事をするのが彼らの責任範囲であるのに、国民の苦しさをまったく判っていない。

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 【岡田式AC判別法】

AC(アダルトチルドレン)は、どっち!?~

   外見は大人で 内面が子どもの様な人

   外見は子どもで 大人の様に振る舞う子ども

正解は②である。

 虐待を受けている人は、一つのパターンしかない。

ボクシングの亀田大毅氏(次男)が内藤選手と対戦した際、試合中に反則行為である足蹴りをして、出場停止処分を受けた。この後、公に謝罪会見をしたのは、彼の父親ではなく長男の興毅氏だった。 あの謝罪会見の一件で解ったことは、亀田家の責任者は長男である興毅氏だったということである。

上記にしるした②の典型的例が、この長男興毅氏。 AC本人も自分の責任範囲を理解していないのである。 彼は子どもの頃から父親の責任までも取らされてきた為、大人びた子どもが出来てしまう。 心理学業界の定説は、「AC=虐待を受けて育ってきた」という証明でもある。

《会場から質問》

『虐待の定義というのは、言葉での暴力や肉体的暴力だけでなく、大人が本来取るべき責任を教えなかったということですか』

岡田 『そうですね! 例えばホームレスの人やゴミ屋敷に例えると、最初からあのような風貌になった訳ではなく、慣れや癖がエスカレートしていった結果出来あがった。』

虐待の問題も、この癖と責任範囲を改善すれば解決できる。いじめの問題も同様で、いじめられていることに慣れてしまうから、自分自身でも抜けられなくなってしまう。その時「なぜ!?いじめられるのか」と疑問をもちさえすれば、まず“いじめから抜け出す第一歩”につながる。

 

【いじめと虐待】

~いじめは横(友達)の関係で

虐待は縦(親と子・上司と部下)の関係~

学校生活で起きたいじめの場合、最悪の場合転校措置をとったり親が早めに動くことで、こじれた友達関係も早期に修復できる。 気付いた人がいれば対応も早く解決に至る。

横の関係で仮に恋人同士だった場合、本人たちが別れたらそれで良いのだろうが、結婚した夫婦のいじめだと多少ニュアンスが違ってくる。 一般的には「いじめと虐待」は別物という認識がなされているが、基本的には同じだということを解ってほしい。 虐待を受けて育った人は「常に自分が悪い人間」だと教え込まれているので、押えきれなくなった感情がエスカレートしていき、犯罪の道へ進んでいく人が多い傾向にある。 常々私が講演させて頂いている方々の中には、保護司や弁護士あるいは養護施設の職員にこの種の話をして、理解して頂くようにつとめている。

 

【虐待を受けるタイプの子】

   やさしすぎる子ども。―――その中でも母性愛が強い人。

これは女性だからといって、全ての女性が生まれながらに母性愛があるかといったら、違う人もいる。 例えば、中学生の生徒たちが私の元へ話しを聴きにきて『授業の一環で、赤ちゃんをあやして接する授業があるが、これはよいことなのか!?』と、質問を受ける。このことについて、私の見解は良い悪いとかいう問題ではなく、それを経験することが自分の将来の子育てにつながるとは思えないのである。 赤ちゃんとの関わり方は学んで解るかもしれないが、結果的にペットと同じだと思う。 その時だけ抱っこしたり可愛がったりするのは、誰であっても赤ちゃんを可愛いと感じるものだが、そこに(感情の中に)母性愛というものは芽生えていない。 都合のよい時だけ可愛がり、あやしたり、抱っこしたりして、自分の気分が乗らない時は、うっとおしいし、ほったらかしにしたくなるので、母性愛が欠如した母親である。

 【かつてあった氣學という学問】

「男女七歳にして席を同じくせず」という教えが第二次世界大戦前にはあった。 この意味は、七歳頃から男女の成長発達が、心身共に変わってくるので、独自の教育方法が必要だということ。 男の場合は生活の糧を作り、家族を養うために稼いでくる手立てを学習する必要がある。 一方女の場合は、結婚し妻となり子が生れ母となって、子育てをするといったことを教えられるということ。―――“男は一德(いっとく)で、女は三德(さんとく)ある”という氣學の教えがある。 男というものは、生涯を通して子どもであるということで一德、女は女の子から始まり、結婚して妻となり子ができて母となる、出世魚のような表現で徳が三つある“三德”と表される。 “男は生涯子ども”であるから、結婚した夫を妻は、自分の理想とする夫になるように“夫育て”ができたら、子を授かった時に夫婦で良い子育てにつながり、母親になれるということ。 現代女性は、男と同じような生き方をしている為、三德の教育を受けないまま大人になっているので、いざ自分が子を育てる段階になってから知識だけで子育てをしているから、多くの問題が生じている。 氣學という教えは、世界の中でも小さな島国であった日本國が、世界に脅威を与える程余りに強過ぎた為、戦後日本に進駐したアメリカのマッカーサー元帥主導により、日本國教育の中から掻き消されたもので、この氣學の根幹には“武士道・道徳・帝王学”があった。

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【虐待する親】

私がカウンセリングする時に、世の中の人を大別して三つのタイプに分けた。 一般的な人を100%の目標達成度合い、虐待を受けて育った人を200%の目標達成度合い、大人の階段を登る事は無しに内面は子どものままで体だけが大人に成長した目標達成度合いが50%タイプの人というように三分類した。200%タイプの人は、子ども時代に親から100%の強要を日々押しつけられて、クリア―してきた人で、大人になってからも100%をこなし切れている人。このタイプの人が無理をして“うつ”になっている。 なぜそうなるのかというと、虐待を受けている子は本来知らなくてよいことや、悪いことばかりを親に教え込まれて育つから、無意識に犯罪を憶えてしまう。 大阪で起きた小学校無差別殺人事件の宅間守死刑囚も、この典型的な例の一つで、彼も幼少期から親から『お前は悪い人間だ!』と教え込まれ、凶悪な犯罪をするしかなかったように至ってしまった。 元々彼も素直で良い人間だったのだ。―――心理カウンセラーや心療内科医のほとんどが50%タイプの部類に属し、患者に対しての悩みや治療処置を解決できていない。おまけに患者(虐待を受けて育った人)の抱えている悩みの部分に対して、答えを出してはいけないと言われる可笑しい現実がある。

 

《会場から質問》

100%の方は、いらっしゃるのですか!?』

岡田 『いるとは思いますが、少ないですね』

―――例えば、200%タイプの人は失敗もしていないのに「すみません」と自らすぐに謝る。 50%タイプの人は決して謝ることはしないし、逆に200%タイプの人に責任を上手になすりつける。 この二つのタイプの人が出会うと、必ず200%タイプの人のうえに、50%タイプの人が乗る状況を作ってしまい、200%タイプの人は長年のクセでどうしても下へ着こうとしてしまう。 この二つの関係では、甘やかされ与えられ過ぎて育った50%タイプの人を、AC判別法を理解出来た200%タイプの人が上手に育て上げることができる。 50%タイプの人は厳しく叱って貰いたいと、心では願っているから良い関係を構築できるのである。

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6月 15 2014 | ご報告 | No Comments »