Archive for 12月, 2013

「クラブ愛」本店 1月の岡田ユキ出演スケジュール

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2014年1月の岡田ユキの出演スケジュール

1月、4日(土)、5日(日)、6日(月)、7日(火)、8日(水)、9日(木)、10日(金)、11日(土)、12日(日)、13日(月)、14日(火)、15日(水)、26日(日)、27日(月)、28日(火)、29日(水)、30日(木)、31日(金)

出演時間: 1、20時30分~21時30分 2、22時00分~22時50分 3、23時30分~24時20分

詳しくはお店のホームページをご覧下さい

岡田ユキの音楽療法が体験出来ます。

http://www.aidakanko.com/ai1.html

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12月 29 2013 | ご案内 | No Comments »

第25回いじめ・虐待防止フォーラムのご報告

【第25回いじめ・虐待防止フォーラム】

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2013年(平成25)10月22日(火)、新宿区大久保地域センターでサークル・ダルメシアン主催の「第25回いじめ・虐待防止フォーラム」が開催された。

≪第1部:特別講演≫
国立国際医療研究センター
国府台病院第三内科医長 三島修一医師

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「私は糖尿病が専門の内科医師です。 九州大学医学部生として、当時心療内科の第一人者であった池見酉次郎教授のもと、医学を学んだ。 卒業して医局に配属された先は、内科に席を置き以後10年間我流に近いもので医療に携わり、自分こそが患者の話しをよく聴いているという自負があったが、案の定壁にぶつかり九州から出て、現在の千葉県市川市の国府台病院へ移籍し、ここで目から鱗が落ちる体験をした。 この病院へ移り、患者から教わった多くの良い経験を踏まえてお話しする。
―――今回、この講義にご参加下さっている会場の皆さんは、医療関係の方が多く来られており、日々医療現場で御活躍されていると思う。 これから私がお話する内容は、人間理解を根本に据えて人との対応の仕方を分かち合い、お一人おひとりが真に元気になるように、人の絆の復興・人間復興・しいては日本復興に向えるよう切に願うものである。 ご参加頂いた方々が、日々抱えておられる問題や、何とも言えない何らかの行き詰りを感じて過ごされているのであれば、もう一度「人間って捨てたもんじゃあない!・・・こんな自分から出発していいんだ!出来るんだ!!」と希望を回復されていかれるように、更には“傾聴”を深めるきっかけとなり、人間が抱く“イメージの力”と“祈りの力“に眼を開いて頂ければと思う。」

【医療現場に立つあなたは、どっち派に属しますか!?】
①  [話しを聴いてもしょうがない!と思っていて、最終的には
本人がしっかりしないとダメだと思っている]
②  [長々と話す人には付き合えない]
③  [要するに…ということね。と話を最後迄聴かないことが多
い]
④  [何を言いたいのか判らない話はイライラしてしまう]
⑤  [相手の話を遮って、自分の言いたいことを話すことが多い]
⑥  [話を聴いていて“我儘”と感じることが多い]
⑦  [話を聴いていると、早くアドバイスしたくなる]
⑧  [話を聴いた後、何となく疲れて溜め息が出てしまう]
⑨  [話を聞いてくれませんか!?と頼まれると、一瞬引く]
⑩  [話を聴いていて、眠ってしまったことがある]
・・・これらの項目にあてはまる御自分はおられませんか。

【“傾聴”とは、耳を傾けて熱心に聴くことである】
この傾聴とは、心療内科を勉強する上での教科書第1頁に上げられている。 医療現場の過程では「診断をして治療する手順」と「傾聴して医療処置の方法等を語る」があるが、診断せずに治療をすれば訴えられるのに、傾聴せずに語る方がいかに多いことかを感じてはいないだろうか。―――ある本にも記されてあることであるが、「言う方が上(優れている)で、聞く方(言われる方)が下(劣っている)」という“傾聴文化未発達”があり、意識化されていない先入観が“本来の傾聴”を妨げている。 皆さんはいかがでしょう…、うすうす感じておられるであろうが「言う方が上で、聞く方が下」という立場は誰が決めたことなのか、妙な先入観に捕らわれている自分がいることこそが、傾聴を自ら妨げている先入観・思い込み・うその考えであるという要素である。 人は本来持っている感情の喜怒哀楽があるために、強要もしくは強制されると反発したくなり、結局は話を聴く“傾聴本来の意”に立ち返る必要があるということ。
【傾聴を妨げている要素例】
○自分の内面「聴いてお前が変わるのなら、聴いてあげるけれど…」⇒“人間は変われない”という先入観。
○自分の内面「Aさんって、こんな人だ(怒りっぽいなど)」⇒決めつけ。
○自分の内面「Bさんは、“我儘な人”だ!」⇒本当は自分が我儘したいのに我慢している。
○自分の内面「他人の話を聴くと、損をする感じで自分の時間が減るな…」⇒たとえ、忙しくて自分のやりたいことができないと感じていても、自分が関わっている時間というのは“全て自分の時間”だということに、なかなか自分は気付かないでいる。
―――私は『医療者は患者に振り回されてはいけない』という新人時代からの“先入観・思い込み・うその考え”により、自ら苦しんでいた時期があった。 この時先輩医師から「三島君!医者も最初は振り回されていいんだよ」という一言により、気が楽になって違う視点での診療対応ができるようになり、私自身救われた。―――『話を聴いたからには、何らかのアドバイスや結論を示さなければならない!』ということも同様で、「私自身、何等かのアドバイスや結論が出せないような長々とした話を聴くことには意味がない」と思い込み、イライラしていた時もあった。 それに対し御助言頂いたのは「1回位聴いただけでは判らないので、次の機会へつなげればいいんだよ」と言われたことによっても非常に楽になった。―――あるいは、「他人の迷惑になるような人間にはなるな!」と教えられて育つが、現実にはそのように生きることは無理であり、何等かの相互介助は必要である。 本来人間は他人に迷惑をかけたり、かけられたりしながら互いに成長できる存在だというのが、真実に近い言葉だと思う。 また「後ろ指を指されるような人間になるな!」ということも、“他人の口には戸を建てられない”ように、いくら自分自身が誠実に事にあたっていても、他人から批判めいたことを言われる時がある。 「後ろ指を指されてもそれはそれ!自分が出来ることを誠実にやり遂げること」が真実に近いと思われるが、皆さんはどうだろうか…。

【人の感情】
Man is a rational being? or emotional being?
人間は理性的な生きものか? 感情的な生きものか?
―――私がこの内容を知った時は、「自分なら理性的な生きものがよいな!」と思ったが、実際の自分は“わかっちゃいるけどやめられない”感情的な生きものだと思う。 この感情というものは実に大切なテーマである。 人間が感情的生きものだという具体例を上げると、
○  なぜか判らないけど、ドキドキするなど身体症状が出る。
○  理由もなく気持ち・気分が落ち込む。
○  イライラして、何かに当りたくなる。
○  自分の体を傷つけたくなる。
―――これらの感情が生まれてきたら、是非誰かに話を聴いて貰う必要がある。人間は他人に話すと、自分自身が自然と整理出来てくるものだ。

【感情は「思考の質」に大きな影響を与える】
例えば、他人の眼差しに一喜一憂していると、本当の自分の大切にしたいものが、解らなくなることが絶えず起きてくる。 これ程大切な自分自身の感情に対して、そのからくりを含め感情を掴み、本来的(健康的な)感情に昇華する方法(物事がさらに高次の状態へ一段と高められること)は、誰も教えてくれなかった。

【本来的感情に昇華する方法】
私たちに備わっている「感情」の持つ決定的な影響力は、私たちの内界(心)と外界(現実・患者・子ども)とはつながっていて(one unit)、出会いで伝わるのはまず感情である。 初対面の人であっても話し易い人がいたり、逆に取っ付きにくいと感じてしまうことも、知らず知らずのうちに相手にも、自分の感情を何となく伝えてしまっているのである。 医療従事者の日常現場において弱い立場にいると、これが一瞬にして解ってしまう。 「可哀想!…」と上下目線なのか、一人の人間としての存在・尊厳を大切に思っているか「言葉には、言葉以前の思い(感情)がへばりついており、言葉以上にその想いは伝わっているのである。―――入院患者が朝から熱があったにもかかわらず、看護師に伝えられず夕方になりようやく伝えることが出来た時、その看護師が「どうしてそんな大事な事を教えてくれなかったの!」と捲し立てる。 “…だからつい言いそびれてしまったのである”。 医療者側の「忙しい!忙しい!…これ以上余分な仕事をさせないで!ピリピリ」という雰囲気が患者側に物を言わせる“すき”を与えていなかったのだ。 「自分の言葉の温度」にも私たちは自覚的ではない(私は一生懸命、あなたのためにしているのに…)。

【驚くべき友人の体験】~肌で感じた医療者の発するエネルギー~
私の友人の自宅が火災に遭い、家族は既に避難していたが、彼は家族を救おうと火の中へ飛び込み、気道熱傷(肺のヤケド)の重傷を負った。 以下はICU入院中の彼の体験談である。
彼がいる病室の入り口に看護師が立った時、人によって「肌」がいろいろに感じたという。 ある看護師は「冷たく」感じ、またある看護師は「針が肌に刺さるような」感じ、別の看護師は「温かく」感じたという。 私は彼からこのことを聞いた時「私は患者からどのように感じられているのか!?」と思い、非常にショックだった。 この出来事により気を付けるようになったのは、人との出会いの前には、自分の気持ち(心)を整えてから出会うように心掛けている。

【3.11被災地での子どもの退行行動・言動に対しての危惧】
地震と津波の恐怖・喪失体験により、精神的に不安定となった子どもたちが親に“駄々をこねる”ことが増えた。 この時親が子に対して「赤ちゃんじゃないんだから、もっとしっかりしなさい!」と突き放してしまった被災した親たち…。 勿論これを責められるものではないが、なぜ突き放してしまったのか、どうすればよかったのか、どう援助すればよかったのだろうか。 退行する子どもに対してお母さんお父さんへの「傾聴同伴」が必要であったと思う。
必死に我慢している方やしてきた方は、我慢せずにワーワー言う人(子ども)を見ると、「私は我慢しているのに、なぜあなたは自分勝手に我儘を言うの!!私こそ我儘を言いたいのに」と、つい反応してしまうのである。―――本当は子どもたちも自分勝手な我儘ではなく不安・恐怖ゆえに安心・援助を求めているだけなのだ。 それをみる我慢してきた・している方には、どうしても相手が“自分勝手”にみえてしまういわゆる「負の連鎖」であり、ゆえにお母さんお父さんへの「傾聴同伴」がより大切になってくる。 親のあなたの対応が悪いという話ではなく、勿論親のあなたの心が悪いという話でもない。子どもがそうなるにはそうなる理由があるので、一緒に考えていきませんか。

【負の連鎖を止めるための私の面談方法】
常々私が心掛けていることは、関わる全ての方が元気になって頂くためにと思っている。 その日常面談内容をご提示させて頂くと、まず面談スタート時点では、御両親のうち子どもにとってのキーパーソンはどちらなのかを判断することであり、必ず順位が付けられている(母親が1番で父親が2番といったこと)。
ステップ① 親の御苦労してきた過程をじっくり御聞きするこ
と。
ステップ② 子どもがそうなるには、そうなる理由があるので「一緒に考えていきませんか!?」と治療的人間関係の構築を心掛ける。
ステップ③ 親に対して、本来の子どもの表情や姿をありありと思い出させて、念じてもらう。
ステップ④ それらを踏まえて、強い口調ではなく問題となっている現状を一緒にみとる。
ステップ⑤ これまでとは違う新しい関わり方で、子どもが変わった実例を紹介する。
例:引きこもりの娘を持つ母親からの相談を受けた。この母親か
らの話を聴くと典型的な“親の上から目線”(親の風を吹かせるよ
うな)の母親だったが、まず本人の気持ちをじっくりと聴くことに
より、この母親自身が自ら変わっていった。 その後この娘さん
とは1度も面談しなかったが、母親が変わったことにより、引き
こもっていた娘さんは快復し、社会へ出て行った。―――このよ
うな実例を時間はかかるが提示させる事が大事である。
ステップ⑥ まずは、子ども本来の姿を信じ受けとめてみましょう!と提案する。
⇒親が新しい関わりによって、子どもの態度が変わるという「新しい体験」に導かされる。
⇒この新しい体験を心に刻む。
ステップ⑦ もう一人の親を「共に新しい体験に向けて」巻き込む。
ステップ⑧ 上記のような体験を、同じ様な苦しみとして体験している方に、実感をもって伝えて頂く使命。同時に我々に紹介して頂くことにより、「新しい体験」の連鎖・潮流が起こる。

『隣人が何をいい、何をおこない、なにを考えているかを覗き見
ず、自分自身のなすことのみに注目し、それが正しく敬虔であるように慮る者は、なんと多くの余暇(歓び)を得ることであろう。(他人の腹黒さに眼を注ぐのは善き人にふさわしいことではない)。目標に向かってまっしぐらに走り、わき見するな。』
岩波文庫 神谷美恵子訳より

この本の中でもう一つ感銘を受けた内容が
『短命な人は長命な人と比較して何も卑下する必要はない。命を短くして亡くす人も長くして亡くす人も、失うものはたった一つしかない。 それは“今を生きることを失うだけだ”』という言葉に衝撃を受け、「今を生きることに尽くせばよいのだ!」ということに気付かされた。

【統合失調症合併2型糖尿病患者の血糖コントロール著明改善症例】
~難治性糖尿病診療におけるパラダイム(一時代の支配的な物の見方)転換の必要性~
この患者は、あらゆるこれまでの病院からさじを投げられた末、当病院へ来られた方で、普通の説明や接し方では治療出来なかった。
※糖尿病診療のゴール=糖尿病治療の“正しい”コースに乗せ、糖尿病合併症を予防・進展阻止すること。(食事・運動・薬物療法で血糖・血圧・脂質・体重などを指標コントロールする)

≪症例≫
●57歳女性
●来院目的:高血糖に対して治療困難
●既往歴 :30歳頃~独語、監視されている
40歳頃~高血糖・高血圧指摘、放置
●生活歴 :脂っこいもの好き アルコール(-)
●現病歴 :55歳 脳梗塞(左半身不全麻痺)
HbA1c15.1% インスリン治療
退院後 インスリン治療拒否
57歳 当院受診

≪初診時所見≫
160㎝ 59㎏ BMI 23.0
血圧:174―105mghg
食後血糖:212mg/dl  HbA1c 12.0%
アキレス腱反射:減弱
眼底:A-Ⅱ~B-Ⅰ  尿蛋白(-)
LDL-C:101㎎/dl HDL-C:50 ㎎/dl
TG:263㎎/dl(食後)
TP:6.9㎎/dl BUN:14㎎/dl Cre:0.5㎎/dl
Hb:13.9g/dl

≪入院前の言動≫
・話が支離滅裂
・ずっと独り言を言っている 一人笑い
・事実でないことを言い出す
「自分にはシンイチ君という子どもがいて
その子を私がいじめるのが許せない」
・「世間の声」に従って、金品を見知らぬ人の家に持っていく

≪治療(1)≫
徹底した傾聴による治療的人間関係の構築
●心を整えて会う(まず面談する前に、自分の心を安定させてから落ち着いて会うことを心掛ける)。
●目の高さを同じにして話を聴く(ベッドもしくは椅子の高さを同じにして…)
●相手の呼吸に合わせつつ受けとめ(この時、コツとしては相手の呼吸に合わせるようなイメージで、ゆっくり接するとポツポツと話し始める)。
●畏敬の想いを抱きつづける姿勢。

≪治療②≫
同居している娘さんへのアプローチ(娘さんは母親を診てきた医師たちから、甘いものを控えるように言われているから、母親が菓子パンなど甘い食べ物を食することを、口煩く言っても効かないので、娘さんの苦労話を聴くことも治療の一つである)。
●娘さんの苦労の傾聴
●患者(母親)の変化(穏やか)の意識化
●母娘間の関わりの悪循環の意識化
(娘が母に強く言うほど母親は頑になり、娘の苛立ちは増加して更に強く言う)
●母親への支持的関わりの提案

≪入院後の経過≫
●入院時の表情の硬さがなくなり、穏やかな表情となっていった。
●インスリン自己注射の受け入れ
●食事の話を受け入れるようになる
●向精神薬の睡眠剤としての受け入れ
●娘との気持ちの交流が始まる
●独語・空笑の減少

【前の病院とこの病院はどう違うの!?】
…と、質問を患者へ投げかけた。
「前の病院は外来が終ったあと、気持ちがイライラしていたけど、
ここの病院は外来がすんだ後何か楽な感じ」と返答。

≪結語として≫
●現在主流の糖尿病診療では、治療困難と思われる統合失調症合
併の糖尿病患者改善例を経験した。
●「医療者と患者の絆」「患者と家族の絆」の深まりを目標とす
ることが、これからの糖尿病診療の重要な柱となると思われた。
●患者のライフスタイルの改善と、そこから導かれる病状改善は、
その絆の深まりの結果であると思われた。

【“祈り”とは】
祈りとは、目をつぶるのではなく、現実の厳しさ・自分の愚かさ(内界と外界)に眼を開きつつ、天に托身(Incarnation=キリスト教で三位一体である神の子が人間(肉)として生れたこと)することで、未熟な人間・私たちが、不条理・不合理なこの世を“最も人間的”に生きるために必要なプロセスである。―――現代版の「祈り」としての例は、宮沢賢治の「雨二モマケズ 風ニモマケズ…」の詩に托されてある。 彼の苦悩から発せられた詩の末尾に「・・・そういうものに私はなりたい」の一節は、愚かさと共にしかし同時に、天に向かっての心のベクトルを謳いあげている。

【常にどのように考え、念じているのかで、結果が違ってくる】
~私が九州のN病院で体験したこと~
●被害者意識の強い攻撃的なナースに対して、出社時の動悸出現
●出勤前に苦しい時の神頼み。
①自分自身に対して、安らぎが訪れるように祈った。
②次に、そのナースに対して、心の安らぎが訪れるように
祈った。
●2週間経ったころ、動悸が改善!
そのナースに普通に挨拶ができた。
●「怒り」は引け目を生じさせる。
●相手の存在に対する畏敬の想いを重ねていくことで、自分の内にあった「引け目」が次第に解消していき、相手に対して自分を守る必要が無くなった(素直に相手に出会えた)感じがした。
●相手への真心が自分の内にエネルギーとして少しずつ蓄えられていき、コーヒーカップに一杯になった時、症状が解消したと思われた。
●祈りは空虚なものではない。
・祈りはエネルギー
・目の前にいる方の、本来の姿・表情を「想う・念じる・ありありとイメージ」する出会い方がもたらすもの(Sさんとの出会い)
●同時進行で医療者と患者が深まっていく体験
・この方と出会わなかったら今の私はない
絆の実感 バラバラじゃなかった…。

【私も最初からちゃんと対応できていた訳ではない】
戸惑いや逃げたくなる気持ち、怒りや相手を責めたくなる感情
が当然あり、自分自身に悩んでいた時期はあった。 だからこそ
「限界を突き破りたい」と思い願った。 それを「試練」と感じ
るのは、そこにすでに「願い」があるからである。

●例えば、Aさんが私に悪口言った時
○「屈辱感」でAさんに怒る
○もし、私がAさんに全く愛情を持っていなかったら、
○私が「フン」で済まずに、怒っているということは、
・「Aさん、本当のAさんは、悪口を言うような人じゃない」
・相手に対するまごころとしての怒り、「純粋な怒り」が確か
にあるということ。

【人間は○○であるべき】
人は固定観念や先入観により、素直な自己表現「泣き笑いなど」
を、押しころしてしまう傾向がある。 いわゆる「よい子」の怖
さで、今の教育が「心をはみ出す」訓練がなされていないことを
危惧している。―――正月、私の家庭のテレビが故障してテレビ
番組を見ない正月を家族と共に過ごしたら、「お正月にタコ上げ
て、コマを回して遊び。お餅を焼いたら、膨らむ餅に一喜一憂し
て驚く子ども…、すごろく遊びを自分で考案し遊んだ」充実満喫
した正月だった。

【目の前の方の不安・恐怖・孤独の
声なき声をかきけすもの】
●こちらの被害者意識
⇒「もういい加減にして!!…」
●あきらめ
⇒「…もう私には無理」
●きめつけ
⇒「これは治らない病気…」など
●“そこはかとない”相手との距離感
⇒「私が、やれるところまでは、
やるけど あとはあなた次第よ
最終的には 私には関係ない。」
【傾聴の5要素】
①  自分の呼吸が落ち着いている。
②  相手の呼吸に合わせられる。
③  眼の高さが相手と同じ、もしくは相手より低い。
④  こんな自分でよければ、是非聴かせて下さい。
⑤  相手の「本来の願い」が少しでも感じられる。

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岡田 「虐待を受けて育った人私も同様ですが、今三島先生が
話された“怒りの感情”というものは、生れてこない
のですよね。 子どもの頃から親に『悪いのはあなた!』
という躾・教育を受けて育ってきたので、物心つく前
から“私は悪い子”という自覚洗脳を植え付けられ続け、
自分自身もそう思っていたから…、三島先生とは真逆で
“怒り”という感情そのものがありませんでした」

岡田 「虐待体験のない三島先生が、医療現場で診察治療されて
いることは、本当に大変なことだと思う。私の場合は自
分自身が虐待された体験があり、乗り越えられたことに
より、カウンセリングに来られた方に対して、私の体験
と御自分の体験が重なり合い、私からの助言も気付き
と共に受け入れてくれるので、1回の面談で解決され帰
っていかれる。 一方三島先生御自身は、虐待体験はな
く、極普通の御家庭で育たれているので、虐待を受けて
育った人間を理解する事は、非常に難しいと思われる。
加えて、三島先生のもとへ来られる患者は、生きるか死
ぬか瀬戸際ギリギリの状態の方を診察面談されておられ
るので、相当な労力を要され対応なされていると思う。
だからこそ、このフォーラムにも御参加続けていて下さ
り、虐待体験者の生の声や思考行動パターンを勉強され、
日常の医療現場で活かされているのは有り難い。 三島
先生が「患者へ寄り添う“傾聴”」ということを常々心掛
けて診察面談されていることは、これまで接してきた他
の精神科医や臨床心理士とは、明らかに大きく違う点で
すね。」

会場から
質問 「・・・電話口で受けた母親からの相談だったのですが、
“子どもがうまく育たなくて”と涙声になり、“すべて
母親である私のせいなんです!…と。 暫く話を聴いて
いたが、話の内容から担当者を別の人に変わった途端、
電話を切ってしまい相談もそれっきりになってしまっ
た。 こういう場合の母親に対するアドバイスを教えて
頂きたい」
三島 「やはり、医療者との連携をとることが大事ですが、まだ
まだ患者の話をじっくりと聴ける医療者は実に少ない
のが現実ですね…。 今の話を伺うと、私自身居ても立
っても居られない心境ですね」
岡田 「今の1番の問題は、幼少期虐待を受けて育った人が大
人になり、親となって子どもを育てる段階で起きる諸々
の問題がある。 子どもを助けるのは当然なのであるが、
まず親自身を更生させないと子どもを助けられない」

第2部
サークル・ダルメシアン代表 岡田ユキ講演

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岡田 「私のプロフィールは、会場で配布した[アエラ・ウィズ・
ベイビー]に掲載された記事を一読して頂いているが、大
まかに御説明すると、実の両親からは愛されずDV家
庭で育ち、兄弟から性的虐待を受け、一時はスポーツに 専念していたが、体を壊して退部したのち、友人たちとのトラブルに巻き込まれて、学校を退学せざるを得ない体験もしてきた。 その後、結婚した夫はDVで、
DV家庭となり、離婚してシングルマザーとなった。
…だが、すべて終わったことで乗り越えられたから、本
日は忌憚のない御意見やご質問を出して頂きたい。」

【私の幼少期の家庭】
「私は幼少期から、両親・兄弟からいじめられ続け“悪魔の子”
と言われて育った。 世の中に出て行ったら周囲の人・他人からは逆に“天使のような人ね!”と言われた自分だった。 家庭の中の自分と、社会に出た自分とでは真逆の対応を受け、自分自身は果してどっちが本当の自分なのか判らなかった。 学校へ行き始めたりする頃から、家庭の外の世界に接していくと、他人から私の事を『よい人ね!』と言われ、少し自信がついた気持ちを親に話すと『世の中の人は皆嘘つきだから、他人の言うことを信用するな!』と、また壁を作られる繰り返しで洗脳されてきた。
【日本社会に残る儒教】
日本社会には、昔から儒教というものが根底にあるために、親のことを悪く言えない環境がある。 私の知人に“親が私に対して批判的に接している”と話すと、『それは娘であるあなたのことを思って親は言っているのだから、御両親の愛情がないなんてことはないのよ!。だから娘のあなたが話をよく聞いてあげなさい』と言われてしまっていた。 そう言われた私自身は、[やっぱり、私が悪いのだ。自分が我儘だったんだ!]と反省・理解・納得していた。 でも、私自身は何か胸につかえた苦しいものが残ったまま、子どもから大人になり何かもやもやしたものを内面に抱えて成長してきた。
結婚生活に関しても、愛情ある家庭というものが判らず育っているから、上手くいくわけがなく長続きしなかった。 世の中にある極一般的で幸せな家庭と、私が育ってきた家庭環境とでは、どこに違いがあって何が違うのか、自分では理解できないまま苦しんでいた。―――《みにくいアヒルの子どもたち》という本を書き上げる過程において、自分自身の心の整理がついて、本来の自分というものに気付かされた。 この本が出版され図書館に蔵書として置かれるようになった頃、本の出版社に全国から読者の手紙が私宛で寄せられた。 手紙の大半は、私と似た体験をされた多くの読者で、応援のお手紙ではあったが、送り主の名前が記されていなかったことには驚いた。 それがきっかけとなって、カウンセラーを目指し、今に至っている。」

【3つのタイプに分類】
「私は世の中の人が、3つのタイプに分けられると自分なりの納得を得られた。 その分類を表すと、一般的な人を100%タイプの(自己目標の達成度合い・内面の目標率)標準にして、

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200%タイプの人と50%タイプの人で世の中が構成されていると考えた。

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自分の事しか考えられない人というのは、内面のキャパシティー(容量・受容量・能力)が小さい50%タイプの人であって、他人のことを最優先に考え何とか手助けできないか悩んだり、労力をかける200%タイプの人は、内面のキャパシティーが大きい人の部類に入る。 この200%タイプの人が、“AC”と呼ばれる。

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【ACの定義】
「どちらがAC?」
①  大人なのに内面が成長出来ず、子どものような大人。
②  外見は子どもなのに、大人の様に振る舞う子ども。
答えは②である。
岡田 「なぜ、人はACになるのでしょうか!?。 ACの親は
内面が“子ども化”しており、人間的成長を遂げていな
い。―――ある中学生が私の所へ学びに来てくれた。彼
女が通う中学校の授業内容の一つに、赤ちゃんをあやしたり、抱いたりする母親の疑似体験授業内容があることを聞かされた。 この授業の目的は、現代社会で赤ちゃんを虐待する事件が相次ぎ、そのことを危惧した結果、学校教育のカリキュラムに加えられたことを知った。
この中学生から『私たちが、この授業を受けて母親になった時、よい母親になれるのでしょうか!?』と質問された。 その時私は『それは違う!』と答えた。なぜなら、母になるということは、まず母性というものが成長していないと成立しないのである。 世の中で自分の子どもを虐待して殺す母親というのは、母性がないのでありそこまで成長しきれずに、子どもを産み母親になってしまった人である。 学校の疑似体験で赤ちゃんをあやす授業では、単にペットとしての領域でしかない。

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【“氣學”という教え】
日本古来の教えの中に、氣學(きがく)というものがある。
「男女七歳にして席を同じくせず」という言葉(論語の一節)の意
味を、氣學では教えている。 人は男女7歳を境にして心身が成
長していくため、別々の教育を施してきた。 この教えのなかに
「男は一德、女は三德ある」というものがあり、“男は一生涯子
どもである“という一德と、女の三德は、女として生れた一德に
伴侶となる妻としての二德、子を授かり産み育てる母として三德
の教えを伝授し、出世魚のような三段階成長過程が必要であると
いう意味で、“三德”という言葉で表した。―――ところが戦後(第
二次世界大戦)、世界の中でも極めて小さな日本という国が、世界
を圧倒した根本は、どこにあるのかを米国側が調査研究した結果、
日本民族を作り上げた根底に“氣學”という存在があり、加えて
武士道精神が驚異的な力となり、影響を与えたという結論に至り、
米国側は多大な脅威となった“氣學”という存在を、戦後日本の
教育から抹殺してしまった。 よって、戦後日本の教育からは家
庭における女、女子教育の根本がはずれ女の子のまま(内面的に)
成長し、大人になってしまい女子のまま母親になってしまったと
いうこと。

【ボクシングの亀田一家】
亀田興毅氏(長男)の弟・大毅氏が18歳当時、世界チャンピオンの
内藤大助氏と対戦した際、反則行為を繰り返し大きく報道され、
社会的制裁を浴びせられた一件があった。 この時公の前に現れたのは、トレーナーでもあった父親ではなく、長男の興毅氏が謝罪会見していた。 これは本来父親が行うべきものを、息子の興毅氏が責任を取っていた。 彼(長男興毅氏)も幼少期、親から100%を求められ、さらに100%を自分に課して力を発揮せざるを得ない生き方・育ち方をしてきた結果である。 この興毅氏がチャンピオンになった時、自分が獲得したチャンピオンベルトを父親にも渡した光景は、子どもである興毅氏が父親を子どもにみて、尽くしている構図。子どもなのに通常の親子以上に、親に手を掛けているような子どもをACと呼び、世の中にも多く存在する。―――皆さんの周囲にも、これに似たケースで[子が親を甘やかしているな!?もう少し親を自立させた方がよいのに…]と思われる人がおられると思うが、ACの子は親と共依存関係にあり、[自分が親の面倒をみないといけない]という気持ちを幼少期から植え付けられているので、本来自分の居場所を見つけらずに苦しんでいる人が多い。 興毅氏の場合も、父が彼に対して『俺がいじめられてきた世の中に対して、お前が仇を討ってくれよ』と繰り返し言って育てたと思う。 興毅氏がいくら世の中で頑張っても、チャンピオンになっても両親からの愛情をもれえずに育ってきているので、愛情に飢えた幼少期を抱えたまま苦しんでいる典型的なACである。 一般的にはこういう子どもは、子どもなのに幼少期から100%を達成しているため、大人になりさらに100%を目指し頑張り過ぎて“ウツ”になる人が多い。

【岡田式AC判別法】

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一般的な人というのは、生れて人が成長していく階段を、正比例の図表のように登っていく。 この段階で家庭では厳しさや優しさ・人としての責任などを、親から学んで育つ。
資料②のACと呼ばれる人の成長は、一般の人とは逆で0歳からマイナスの方へ親から植え付けられてしまう。
―――私の場合だと、『生れた時から母親の私を苦しめたから、悪魔の子だ』と言われ続けられたり、あるいはTV報道で殺人事件を起こした犯人を指して『あんたも大人になったら、こんな風になるから親のいうことを聞きなさい』と悪い例ばかりを植え付けられるということをされてきた。 この“負の成長”は本来子どもが成長するのに知らなくてよい部分である。 ところがACでは幼少期に、このようなことが日常的に行われているのが現実で、親子関係が大人になればなるほどエスカレートしていく。 親からの躾!?では、とことん落とされて“下向きの躾”をされてしまい、やがてこれが犯罪へ手を染めていく親からの強制的洗脳教育である。
―――虐待をする親は、一般の常識では考えられないほど自己中心的で、外見は大人なのに内面は完全な子どもなのである。 幼少期から甘やかされて我儘し放題の育ち方をしてきた人なので、大人になるチャンスを失ってしまった。これが資料③の50%の成長しかないのに外見だけが大人になった人のこと。 50%しか達成出来ていないのに『あなたは出来るよ』と親が甘やかした人。
50%タイプの親にして、200%タイプの子どもを作ってしまう。なぜなら、親の言うとおりに育てたから『もっと頑張れ!』と言うと、親から好かれようと懸命に親の願いを叶えようと頑張ってしまう。…が、当の親は満足することはなく、子がやれてしまうから逆に腹が立ち、矛盾した感情が湧いてくる。 このような感情が出てくる背景には、幼少期から与えられ過ぎと過保護な結果、自分で責任を取る事を学ばず、自らの達成感も味わえなかったことによる。
―――200%タイプの人が、50%タイプの人に話しても理解されることはないし、50%タイプの人が悩んでいる内容を、200%タイプの人が知ると『どうしてそんなことで悩むのか!?自分で解決すればよいのに』といった風で、同様に話にならない。 私の元へカウンセリングに来られる方の多くは、200%タイプの人で50%タイプの人に振り回されている。 この50%タイプの人には“ハレものに触る”ように接するのではなく、厳しくするべきだが、自己アピールが上手で弁が立つので、口で言うことと行動が伴なわず、他人から助言等を言われただけで「傷つけられた!」と大騒ぎするといったことがよく見受けられる。

【50%タイプと200%タイプの怒りの感情】
先程三島先生の言われた“怒りの感情”で、50%タイプの人はすぐに怒る。 200%タイプの人は逆に無口で、感情を表に出さないのは子どもの頃から、親の上から目線で押さえつけられており、何をやるにしても[お前のやる事はダメ!]だとか、口答えできないように仕向けられ、当たり前のように“負の常識”を洗脳されてきている為だからである。 このことがあるので、本人は常に劣等感を抱えて、[常に頑張らないといけない]と考え行動してきた。 頑張り過ぎてウツになり、自傷行為に走ったり自殺に追い込んだりしてしまう。
―――50%タイプと200%タイプを自殺ということで比較した場合、50%タイプの人の死に方は、ビルから飛び降りたり電車に飛び込むといった行動に出る。周囲の他人にまでアピールして死ぬ死に方を行う。 一方200%タイプの人は、富士山の樹海に入って誰にも知られず人に判らない様な死に方を選ぶ。 三島先生のもとへ来られる患者は、200%タイプの人が多く[自分が精神を病むなんてことは、まだまだ頑張りが足りない]と常日頃思っているから、周囲の人がこの200%タイプの人をしっかりと見極めて気付いてほしいと切に願う。
AC(200%タイプになる人)には、3つのパターンがある。
①  優しすぎる人。
②  親のことが大好きで無口な人(逆に親の悪い面もよく判っている)。
③  天然ボケな人。(器の大きい人)

【虐待している親は、判ってやっている】
虐待をする親は、子どもが自分の言うことを聞くと判っているので、アピールする子には決して虐待(暴力)はしない。 なぜなら家庭の外に向かって、家庭内で起きていることを口外するので手を上げることはしない。 親の言うことに対し、決して逆らわず頑張ってやり遂げる子に向かっては平気で暴力を使い手なずける(自分もそうされてきたから)。 親からすると心地よいので、その子に対して親が受けたストレスも、子どもが吐け口となり悪循環が“くせ”になっている。―――ホームレスが、いきなり今日から臭い匂いがするようにはならないのと同じで、初めは普通の人だったのが、長い時間をかけて匂いがするホームレスになったのと同じ“くせ”である。 虐待されている子どもが、親から言われた『トイレから一歩も出るな!』の一言で、それを守り続けて閉じ込められいるのは、過去に“出たことにより”叩かれ殴られ食事さえ与えられなかった経験があるから、餓死するような事件が起きている。 世間は[なぜ親が気付かなかったのか!?]と必ず疑問の議論が始まるが、親は気付いて判ってやっていることが、エスカレートしていった結果の出来事である。 [1回やったら成功した!じゃあ2回やってみよう…3回、4回]というように、これも“くせ”になっていくという虐待の構図だ。 200%タイプの人に対しての助言は、[あなたの周囲に居る50%タイプの人に対して、決して優しい言葉を掛けてはならない!もしあなたの立場だったら、50%タイプの人が言う様なことや行いをしますか!?逆に厳しい態度や言動で接しなさい!]とカウンセリング・アドバイスをしている。 精神科医として診察する医師も、ほぼ50%タイプの部類に入り、200%タイプの患者のことを理解出来ていないから、2次的3次的虐待を病院で受け、被害が慢性化しているのが悲しい現実である。

【渋谷のDJポリス】
渋谷の交差点に立ち、DJポリスとして一躍時の人となった警官が表彰されたが、私は「どうして!?」の疑問が即座に浮かんだ。 それは[警官の当たり前の仕事でしょ!]と思い、彼の行動が過大評価されていることに“不思議さ”を感じてしまった。
200%タイプの人からすると、なぜその程度の事で表彰されるのかと・・・もっと見えない所で地道な活動をされている方が多くいるのにと思ってしまった。 これは、50%タイプの人が社会の中に増えて来た結果の現れだと感じ、世の中の社会構造が虐待を仕向けるような風潮に変わってきて、大きな問題だと危惧している。―――もう一つ気になる問題がある。 最近私の所へ相談に来られる方の中に、クリスチャンの方が多く[どうして!?]と思い考えてみると、これらの方々の非常に強い“罪の意識”により、絶対的支配者に反発したら地獄にでもいくような気持ちを抱えておられる。自助グループの解決方法の一つに、キリスト教の“12ステップ”というのがあり、日本人の根底にある仏教的(儒教)教えになじめず、キリスト教の教えを50%タイプの人が、200%タイプの人に教えている為悩んでいる人が多くなってきている。
【十界(じっかい)】

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十界(じっかい)とは、迷いと悟りの全世界を10種類に分けたもの。
すなわち地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界(以上迷界)と声聞(しょうもん)界・縁覚界・菩薩界・仏界(以上悟界)。天上界までの六界は迷いの世界でこれを六凡と称し、声聞界以下は悟りの世界でこれを四聖という(広辞苑より抜粋)。

私が分類した50%タイプの人と200%タイプの人を見た時、仏教界における“十界”というものに当てはまるな!と感じたので御説明したい。―――人は六道があり、50%タイプの人はこの六道の中を行ったり来たりしてウロウロ状態にいるため、極端な怒りを表したり、その捌け口を子どもに向かわせ虐待をしている。この虐待をしている親から、子どもは自分の存在や自分とはなんなのかという自己存在の意味を、幼少期から哲学的思考探求をしていて、良い人になろうと心掛けている。 周囲の人の声を聞き、声聞という修行を日常的に行ってきた。 ある日、虐待を受けて来た子どもが「もしかしたら自分の親は間違っているのではないか!?」と気付き、ようやく親元を離れる行動に出ることを“里離”と呼び、親離れが発生し仏教界での“悟り”へとつながっている。それまで虐待してきた親から、自分の考えによって離れて本来の自分というものを見つけ出していく。

【インナーチャイルドとは】
200%タイプの人は、負の成長を親から受けて自分の力で0まで這い上がってきたが、今度は自分が親となった時自分の子どもに対して[あなたは可愛がられて育っているけど、私が子どもの時は親から虐待されて育った]と、無意識のうちに親と同じ虐待をしてしまう自分がいる。私もそうでした・・・。 この無意識の部分は、幼少期に与えられなかった親からの“正当な愛情不足”によるもので、恋人や新しい伴侶となる相手により、幼児体験を実践して頂く必要がある。 それによってインナーチャイルドの部分が、一般の人と同じ成長過程をたどり“成人”していく。
―――逆に50%タイプの人には、インナーチャイルドの部分がない。 子どもの頃から大人になってまでも、子どもの内面であるので大人としての厳しさを育て上げるように接していかなければ“成人”しない。 たとえ年齢が20歳・30歳・40歳・50歳・60歳・70歳・80歳になろうとも、50%タイプの人の成長出来ない内面は、子どものままである。

【結論】
最終的な結論として私の伝えたいことは、虐待を受けた人たち(両者)は病気ではなく、悪癖が付いているだけです。
悪癖に本人が気が付くことによって、自分の意思でその悪癖を止められたら解決に至ります。
私はその悪癖に気づいてもらうお手伝いと、良い癖(習慣)を身に付けてもらうお手伝いをしています。

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(了)

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12月 07 2013 | ご報告 | No Comments »