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第30回いじめ・虐待防止フォーラムのご報告

【第30回いじめ・虐待防止フォーラム】

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  2015年平成27年1月20日(火)17:30~21:15新宿区大久保地域センターで、市民活動団体の“サークルダルメシアン”主催による「第30回いじめ・虐待防止フォーラム」が開催された。

 

第1部 特別講演 悠々ホルン

悠々ホルン
「子供科大人の教科書」
子供が心の内に秘めている想いPart1
子供は大人が考えているよりも、
多くの悩み、多くのストレスを抱えています。
子供の気持ちを理解出来ない分衝突もあるでしょう。
子供科大人の教科書は

子供を救う
子供との接し方に悩む親御さんにヒントを提供する
親子の関係を改善・より深いものにする。

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下記の通り幼少期の体験と活動に関する講演を行った。

家庭環境がきっかけで心を閉ざした少年時代。
実体験をもとに作った楽曲をネット上に公開したところ、彼が背負っていたものと同じ様な心の傷を持った全国の10代の女の子を中心に応援・相談メッセージがメールや手紙にて届くようになる。
その内容は家庭や学校での悩み、人間関係、いじめ、トラウマ 、虐待、不登校、自傷行為等、居場所の無い不安定な心で必死に生きている心の叫び。
これまでに受けた相談の人数は300人を超え、そのSOSをを音楽や動画、講演等で代弁し、悩める多くの子達の支えとなり、またその親御さん達に向けて子どもの本音を伝え親子関係の修復・傷付いた心を救う為に活動を行っている。

第2部 講演 岡田ユキ

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自身の幼少期の家庭環境と兄弟、家族による虐待の解説

「私は幼少期から、両親・兄弟からいじめられ続け“悪魔の子”
と言われて育った。 世の中に出て行ったら周囲の人・他人からは逆に“天使のような人ね!”と言われた自分だった。 家庭の中の自分と、社会に出た自分と では真逆の対応を受け、自分自身は果してどっちが本当の自分なのか判らなかった。 学校へ行き始めたりする頃から、家庭の外の世界に接していくと、他人か ら私の事を『よい人ね!』と言われ、少し自信がついた気持ちを親に話すと『世の中の人は皆嘘つきだから、他人の言うことを信用するな!』と、また壁を作ら れる繰り返しで洗脳されてきた。

世の中の人を3つのタイプに分類

自分の事しか考えられない人というのは、内面のキャパシティー(容量・受容量・能力)が小さい50%タイプの人であって、他人のことを最優先に考え 何とか手助けできないか悩んだり、労力をかける200%タイプの人は、内面のキャパシティーが大きい人の部類に入る。 この200%タイプの人が、 “AC”と呼ばれる。

アダルトチルドレン(AC)の定義

「どちらがAC?」
①  大人なのに内面が成長出来ず、子どものような大人。
②  外見は子どもなのに、大人の様に振る舞う子ども。
答えは②である。
岡田 「なぜ、人はACになるのでしょうか!?。 ACの親は
内面が“子ども化”しており、人間的成長を遂げていな
い。―――ある中学生が私の所へ学びに来てくれた。彼
女が通う中学校の授業内容の一つに、赤ちゃんをあやしたり、抱いたりする母親の疑似体験授業内容があることを聞かされた。 この授業の目的は、現代社会で赤ちゃんを虐待する事件が相次ぎ、そのことを危惧した結果、学校教育のカリキュラムに加えられたことを知った。
この中学生から『私たちが、この授業を受けて母親になった時、よい母親になれるのでしょうか!?』と質問された。 その時私は『それは違う!』と答えた。 なぜなら、母になるということは、まず母性というものが成長していないと成立しないのである。 世の中で自分の子どもを虐待して殺す母親というのは、母性 がないのでありそこまで成長しきれずに、子どもを産み母親になってしまった人である。 学校の疑似体験で赤ちゃんをあやす授業では、単にペットとしての領 域でしかない。

氣學という教えから

本古来の教えの中に、氣學(きがく)というものがある。
「男女七歳にして席を同じくせず」という言葉(論語の一節)の意
味を、氣學では教えている。 人は男女7歳を境にして心身が成
長していくため、別々の教育を施してきた。 この教えのなかに
「男は一德、女は三德ある」というものがあり、“男は一生涯子
どもである“という一德と、女の三德は、女として生れた一德に
伴侶となる妻としての二德、子を授かり産み育てる母として三德
の教えを伝授し、出世魚のような三段階成長過程が必要であると
いう意味で、“三德”という言葉で表した。―――ところが戦後(第
二次世界大戦)、世界の中でも極めて小さな日本という国が、世界
を圧倒した根本は、どこにあるのかを米国側が調査研究した結果、
日本民族を作り上げた根底に“氣學”という存在があり、加えて
武士道精神が驚異的な力となり、影響を与えたという結論に至り、
米国側は多大な脅威となった“氣學”という存在を、戦後日本の
教育から抹殺してしまった。 よって、戦後日本の教育からは家
庭における女、女子教育の根本がはずれ女の子のまま(内面的に)
成長し、大人になってしまい女子のまま母親になってしまったと
いうこと。

等の解説がされた。

次回、平成27年 4月29日(水)13:00~17:15 大久保地域センター会議室Bにて第31回いじめ虐待防止フォーラムを開催予定です。

3月 16 2015 | ご報告 and 活動報告 | No Comments »

第29回いじめ・虐待防止フォーラムのご報告

【第29回いじめ・虐待防止フォーラム】

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2014年平成26年10月23日(木)17:30~21:15新宿区大久保地域センターで、市民活動団体の“サークルダルメシアン”主催による「第29回いじめ・虐待防止フォーラム」が開催された。

「岡田ユキ」による特別講演

自身の幼少期の家庭環境と兄弟、家族による虐待の解説

「私は幼少期から、両親・兄弟からいじめられ続け“悪魔の子”
と言われて育った。 世の中に出て行ったら周囲の人・他人からは逆に“天使のような人ね!”と言われた自分だった。 家庭の中の自分と、社会に出た自分と では真逆の対応を受け、自分自身は果してどっちが本当の自分なのか判らなかった。 学校へ行き始めたりする頃から、家庭の外の世界に接していくと、他人か ら私の事を『よい人ね!』と言われ、少し自信がついた気持ちを親に話すと『世の中の人は皆嘘つきだから、他人の言うことを信用するな!』と、また壁を作ら れる繰り返しで洗脳されてきた。

世の中の人を3つのタイプに分類

自分の事しか考えられない人というのは、内面のキャパシティー(容量・受容量・能力)が小さい50%タイプの人であって、他人のことを最優先に考え 何とか手助けできないか悩んだり、労力をかける200%タイプの人は、内面のキャパシティーが大きい人の部類に入る。 この200%タイプの人が、 “AC”と呼ばれる。

アダルトチルドレン(AC)の定義

「どちらがAC?」
①  大人なのに内面が成長出来ず、子どものような大人。
②  外見は子どもなのに、大人の様に振る舞う子ども。
答えは②である。
岡田 「なぜ、人はACになるのでしょうか!?。 ACの親は
内面が“子ども化”しており、人間的成長を遂げていな
い。―――ある中学生が私の所へ学びに来てくれた。彼
女が通う中学校の授業内容の一つに、赤ちゃんをあやしたり、抱いたりする母親の疑似体験授業内容があることを聞かされた。 この授業の目的は、現代社会で赤ちゃんを虐待する事件が相次ぎ、そのことを危惧した結果、学校教育のカリキュラムに加えられたことを知った。
この中学生から『私たちが、この授業を受けて母親になった時、よい母親になれるのでしょうか!?』と質問された。 その時私は『それは違う!』と答えた。 なぜなら、母になるということは、まず母性というものが成長していないと成立しないのである。 世の中で自分の子どもを虐待して殺す母親というのは、母性 がないのでありそこまで成長しきれずに、子どもを産み母親になってしまった人である。 学校の疑似体験で赤ちゃんをあやす授業では、単にペットとしての領 域でしかない。

氣學という教えから

本古来の教えの中に、氣學(きがく)というものがある。
「男女七歳にして席を同じくせず」という言葉(論語の一節)の意
味を、氣學では教えている。 人は男女7歳を境にして心身が成
長していくため、別々の教育を施してきた。 この教えのなかに
「男は一德、女は三德ある」というものがあり、“男は一生涯子
どもである“という一德と、女の三德は、女として生れた一德に
伴侶となる妻としての二德、子を授かり産み育てる母として三德
の教えを伝授し、出世魚のような三段階成長過程が必要であると
いう意味で、“三德”という言葉で表した。―――ところが戦後(第
二次世界大戦)、世界の中でも極めて小さな日本という国が、世界
を圧倒した根本は、どこにあるのかを米国側が調査研究した結果、
日本民族を作り上げた根底に“氣學”という存在があり、加えて
武士道精神が驚異的な力となり、影響を与えたという結論に至り、
米国側は多大な脅威となった“氣學”という存在を、戦後日本の
教育から抹殺してしまった。 よって、戦後日本の教育からは家
庭における女、女子教育の根本がはずれ女の子のまま(内面的に)
成長し、大人になってしまい女子のまま母親になってしまったと
いうこと。

等の解説がされた。

次回、平成27年 1月20日(火)大久保地域センター会議室Bにて第30回いじめ虐待防止フォーラムが開催予定。

悠々ホルン氏の特別講演「子供科大人の教科書」が予定されている。

そのプレ講演として、自身の相談を受けた事例の紹介がなされた。

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子供は大人が考えているよりも、多くの悩み、多くのストレスを抱えています。
子供の気持ちを理解出来ない分衝突もあるでしょう。
子供科大人の教科書は
・子供を救う
・子供との接し方に悩む親御さんにヒントを提供する
・親子の関係を改善・より深いものにする

等の解説がされた。

11月 21 2014 | ご報告 and 活動報告 | No Comments »

第24回いじめ・虐待防止フォーラムのご報告

【第24回いじめ・虐待防止フォーラム】

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2013年(平成25)7月23日(火)新宿区大久保地域センターで、児童虐待防止の市民活動団体サークル・ダルメシアン主催による《第24回いじめ・虐待防止フォーラム》が開催された。

第一部は、カウンセラーでもありサークル・ダルメシアン代表の岡田ユキによる特別講演が行われた。

【子どもがAC(アダルトチルドレン)化傾向に向かう社会構造】

岡田 「成人して見た目は大人なのに、精神的成長が伴わず内面が子どものままの大人が増えてきたのは、現代日本が抱える負の社会構造だ。 この現象とは逆にAC(アダルトチルドレン)とは、子どもなのに大人のような言葉使いや振る舞いをする人をいい、典型的な例としてボクサーの亀田興毅(長男)氏があげられる。 彼の弟がボクシングの対戦相手であった内藤選手と試合をした際、弟が犯した違反行為に対し本来保護者の父親が取るべき責任を、長男の興毅氏がマスコミに向かって謝罪した一件があった。 あるいは、興毅氏がチャンピオンになった時のセレモニーで、本人が身につけたチャンピオンベルトと同じものを、父親にも与えたことは不思議な光景として映し出された。―――この例のように、ACとは子どもなのに大人の振る舞いをしなければならなかった人のことをいう。

【虐待死という事】

虐待死する事件の背景は、親の要求を子がすべて受け入れざるを得ない状況に陥ってしまうこと。 親が子に対し一方的な押しつけで『トイレからでるな!』と言われたら、そのまま閉じこもり餓死するといった事が後を絶たない。 このような事を起こしてしまう親は、母性(父性)のない親で、子側は逆に母性愛が非常に強い子になってしまいACとなる」

会場から質問

「普通の家庭でも子どもを産んだからといって、すぐに母親にはなれないですよね。 生れてきた赤ちゃんは無力であって、母親も赤ちゃんと日常を過ごすことによって、日々母性愛というものが育まれて母親となっていくと思う。―――岡田さんが今言われた、子が母性愛を持っているというのは、シックリ理解できないのだが・・・、

親に見捨てられると子は無力だから、ある意味親に依存しなければ生きていけない。 だから子は親の要求を先取りする本能を持っていると、言いたいのではないかと理解しますが、これでよいのでしょうか!?」

岡田 「そういう部分もありますが・・・、表記に上げた“虐待を見分ける3つのポイント”がある。これは子が本来持っている要素で

優しすぎる子。 ②親のことが大好き。 ③天然ボケな人。

などが上げられる。

ACの人は、自分の幸せよりも世の為人の為になる傾向の人が強く、

虐待を受けた親であっても、親が喜んでくれることが自分の喜びと感じる人である。

【氣學という教え】

かつて日本には「氣學」という“人になる教育”が存在した。

第二次世界大戦前まであったこの氣學は、日本古来の武士道・道徳・帝王学として教えられてきたもの。 世界の中でも小さな島国の日本民族が、どうして世界を相手に戦い脅かす程の存在を作り上げたのかを、米国が徹底的に調査精査した判断結果、日本國の凄さはこの「氣學」という教えにあると着目した。 占領下において制度改革等の日本教育から、「氣學」という存在を消してしまった史実が、米国GHQの話である。

この「氣學」教えのなかに“男性は一徳、女性は三徳”あるというものがある。 “男性は生涯夢を追い続ける子どもである”という意味を、一徳(いっとく)という言葉で表し、“女性は女から妻へ変わり母となる進化の過程” を三徳(さんとく)という形で表現した。

【性的虐待が招く社会的翳(かげ)り】

私には、7歳年上の兄と5歳上の兄がいて、小学四年生の時この7歳上の実の兄から性的虐待を受けた。 このことは決して許されるものではないが、女性として年を重ね状況が判り出すと許せる心境になってくる。

一方、男性が性的虐待を受けた場合、その反動は自分よりも弱い対象へ向けられてしまう。 実の母親から性的虐待を受けた息子は、まず動物を傷つける行動へ走り、さらにエスカレートしていくと殺傷してしまうというように過激な行動に至る。 その後事件になる幼児殺人を招いているのが、これまでに起きた悲劇的結末だ。

会場から質問

「かつて神戸市須磨区で起きた当時14歳の中学生による連続児童殺傷事件や、宮崎勤死刑囚も動物虐待から幼児へ向けられていったのでは!?」

岡田 「そうですね。 大阪教育大学附属池田小学校事件の宅間守死刑囚もそうでしたが、彼らはある意味社会の被害者でもあった。 当時私は事件を起こした加害者について、幼少期何らかの虐待を受けて育ったのではないか!?と感じていて、これらの事件加害者に接見していた東海女子大学助教授の長谷川博一氏にコンタクトをとり、加害者の背景を聞き出した」

【事件が繰り返される要因】

大阪教育大学附属池田小学校事件の宅間守元死刑囚も、幼少期虐待を受けて育っていた。 獄中の彼と接見した長谷川氏から聴いた話では、『自分を育てた親の非業さを、世に説いて欲しい』と願っていたという。 さらにその時彼が語ったのは『自分は社会の被害者でいい。 幼い命を殺してしまったことは、本当に申し訳なかった・・・だけど、自分としてはあんなことをするしか手段が見つからなかった。 誰一人として自分を助けてくれる人もいなかったし、あのような事件を起こしたから自分は死んでいく。 御遺族の方々には本当に申し訳なかったと思っている』と言い残し亡くなって逝ったという。

ところが、彼と接見した長谷川氏は宅間のことを心底理解できていなかったし、罪を犯した宅間守という男の真実背景を、腐敗している社会に対し警鐘を鳴らす様なパワーもなかった。 これは御遺族に対し自分の発言する内容で何を云われるか判らないという怖さから、接見内容を伏せているのだろう。 長谷川氏は以前サークル・ダルメサシアン主催のシンポジウムに出席して頂いた。当初ボランティア(手弁当)とのお話だったが、シンポジウムの開催日近くになって、本人から交通費、宿泊費等の負担を求められ、サークル・ダルメシアンがすべての費用を負担することになった。「みにくいあひるの子供もたち」改訂版出版の際に寄稿文をお願いした際、無償で承諾していただいた。出版直前の時点で、本人からの強い希望で、金銭的な条件をいってこられたため、今回は寄稿文の掲載をお断りすることになった。

犯罪事件を起こした事実は当然許されるものではないが、加害者となってしまった彼ら自身、虐待を受けていたことを抑圧されてきた感情の発散先が、幼児に向けられていった心理を充分に理解分析している人がいないというのも、この種の事件が繰り返される要因にもなっており、長谷川氏が心底理解していないというのは、この一点に尽きる。  社会も事件を起こした人を裁くことのみに重きを置き、あるいは死刑執行という“応報刑主義”(刑罰は犯罪により生じた害悪に対する応報であると考える立場。いわゆる旧派・古典学派)で犯罪者の更生へ向かわせる道さえ閉ざしてしまう。 私の視点で虐待の問題を見られる人がいない。この点は非常に難しい問題ではあるが、議論の喚起を促したい。

【虐待を受けて育った人は・・・】

私は2000年からカウンセラーとしての活動を始めた。

同年「みにくいアヒルの子どもたち」という本を出版し、全国から多くの人の反響を得て手紙が送られてきたが、誰一人として実名が書かれてなかったことを憂い、私はこれらの人の代弁者となり活動をしていく必要があると実感した。 当時「虐待死をまぬがれて」という小冊子を発行して無料配布していた私たちは虐待死事件のあった栃木県小山市を訪れ、担当者のあまりの意識の低さに愕然とした。

栃木県小山市で起きた幼児殺人事件がきっかけで“オレンジリボン”の活動が始まるが、事件当初は民間、行政ともに虐待に関する取り組みに関しては影も形もなかった。

「虐待死をまぬがれて」の小冊子は、行政担当者へ向けて、虐待を受ける過程とか子どもたちの心情を理解してもらいたいという想いで配布していたが、当の行政担当者から出てくる言葉は、皆一様に『世の中には完璧な人はいないのだから・・・』をよく耳にした。 まるで他人事のような印象に対し“虐待を受けている子どもたちというのは、親が放つ鋭利な刃のような感情の受け取りに失敗すると命がないのだ。 これは親の感情を読み違えると、殺されてしまうということ。 この経験は私が幼少期に体験していることなので、行政に携わる人が『世の中に完璧な人はいない』という発言には、どうしても納得が出来なかったのである。 虐待を受けて育った子の傾向を考えると、幼少期から虐待による人間的成長を遂げている為、仕事においては常に底力を発揮し、社会で成功している人が多い。

【岡田式AC判別法】

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一般の人を、人生の目標達成度合いで数値化した時、100%の達成度合いと表した。 一般の人が成長してきた過程は、0歳で誕生し人として学ぶべき愛情や、生きていく上で必要な厳しさを親本来の愛情の元に与えられ育ち、大人への階段を着実に一歩一歩登り、人として自立していくのが一般の人であろう。

ところが、私のように虐待を受けて育った人の家庭環境では、幼少期に学ばなくてもよいマイナスな教育を、日々親から押し付けられ学習して育つ。 よってすでに幼少期に“負の100%”を達成してしまっている。 私の場合、母親の出産が極めて難産であったことで、生れてからこの母親に「あんたは悪魔の子や」と言われ続けて育った。

【インナーチャイルド(幼少期の自分)】

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200%タイプの人は、インナーチャイルド(幼少期与えられなかった愛情の欠如)部分の愛情成長が、空白なまま大人になっているので、大人になってからも愛情ある伴侶に、親から与えられなかった幼少期愛情体験を実践して貰う必要がある。 そうすることによって、空白部分が徐々に埋められて自分自身の存在意味も理解納得できる。 このインナーチャイルド部分は、子どもを産んだり幸せな環境下において出てくる心理的現象。 自分が幼少期育った不遇な状況で、本来与えられるべき愛情が枯渇していた為、愛情成長部分が空白となり満足感を得られず、虐待を受けていた幼少期の自分が語りかけてくるようなこと。 この点を克服し切れず負の心境へ傾いていくと、自分が受けていた時のような虐待環境を再び作り出してしまう。日常生活においても、テレビや映画で幸せなそうな家庭場面を観てしまうと、どうしても自分の過去と比較してしまい、幻聴ではない過去の自分の声に脅かされてしまう。

このインナーチャイルド部分を解決させるには、例えば夫婦の立場にある人であれば、伴侶側が親代わり的な状況をつくり、精神的にも肉体的にも幼児体験を実践する必要がある。 そうすることにより、空白部分が大人として成長し安定していくので、幸せな御縁の導きに出会えるように祈っている。―――残念ながら、これらの内容は、今の精神科医やカウンセラーが最も理解に欠けている点であり、更によくないのはインナーチャイルドの空白部分は「忘れなさい!」という一言で片づけられていること。

このフォーラムが “現代社会の荒みを無くせるよう”に、地道な活動ではあるが続けていきたいと思う。         (了)


8月 17 2013 | ご報告 and 活動報告 | No Comments »

第23回いじめ・虐待防止フォーラムのご報告

【第23回いじめ・虐待防止フォーラム】

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2013年(平成25)4月23日(火)新宿区新大久保地域センターで、第23回いじめ虐待防止フォーラムが開催された。 今回はフォーラムの主宰である岡田ユキによる特別講演。

【特別講演】
岡田ユキ:『人権問題に対する小冊子を発行した時もそうであったが、今回季刊雑誌の「アエラ・ウィズ・ベイビー」で“いじめ虐待問題”を特集掲載された後、全国から匿名でのメール相談が多数寄せられた。 それらの相談者は、自分が経験した事は極めて恥ずかしいものと、自らが決めつけているし、しかも積極的に相談することすら行っていない。 滋賀県大津市の学校でいじめが原因による自殺した生徒や、大阪桜の宮高校での部活顧問による一件。 東京都調布市の小学校では、二年生担任のベテラン女性教諭による生徒たちに対する暴言発言などは、家庭内で問題を抱えていた教師だったりしている。 さらに、名古屋のマンガ喫茶オーナーが従業員を殺害した事件は、過去幾度となくオーナー夫妻から日常的に暴行を受けていた従業員が、身体に青アザを受けながらもそこで仕事を続けていた事が判明した。 どうしてこのような不幸な出来事が起こるのか、その発生原因と対処方法を私が幼少期から受けて来た虐待体験をもとに、私なりの“虐待構図の解読”を説明する。』

[岡田式AC(アダルトチルドレン)判別法]
このAC(アダルトチルドレン)とは、外見は子どもなのに大人の様に振る舞う子どもの事をいう。―――東京都調布市の小学校教諭が担任クラスの生徒に対し日常的に暴言を吐いていた現場録音音声が報道された。  内容は、担任教諭が出来ない生徒に対して“なじる暴言”に加え、周囲の生徒に向かって指摘した生徒を個人攻撃し、更にあおる言動を浴びせるものだった。 これはクラスの中で一人の生徒を責める時、他の生徒を巻き込んで“生贄(いけにえ)の血祭り状態”にする手法である。 この内容を聞いて感じた事は、かつて私が幼少期家庭内で受けていた、母親からの日常的暴言の数々と全く同じ状況だ。 クラスにいる生徒がいじめる側の教師の特性を、幼いながらも考えていくように学習するのは、私の家庭内においても同じだった。 これは家庭で一番権力を持つ母親=担任教師が、立場の一番弱い末娘の私を標的にする構図と、クラス内の状況とは同じだと言う事である。 クラス内でのいじめも、いじめる側(担任教諭)をサポートするサポーター(生徒)という存在が生れ、それらは教師の側に付き一人の生徒をいじめる世界が成立している。―――このように大人の顔色を四六時中伺いながら成長していくと、AC化してしまう人間が育ってしまうのが現状である。 昨今のニュース報道や各メディアの取り上げ方で多くを見聞きしている“いじめ問題”だが、今だけに起きていることではなく、過去から繰り返されてきた“いじめの構図”だ。 ここ一年くらい前から「いじめによる自殺という負の連鎖構図が事実としてある」という社会認識がようやく一般的に広がってきた。―――このAC化した子どもが歳を重ね大人になったとしても、ACだった大人はACのままの状態で変わらないのであり、年齢が高くなるほど元の“素の自分”に戻ることは極めて難しくなる。

【AC化する人の三つの特徴】
これまで私がカウンセリングしてきた相談者の傾向を診てきて、ACになりやすい人の性格的傾向を、三つに大別分類した。
①  優しすぎる人。
②  親のことが大好きで無口な子。
③  天然ボケな人(細かいことを気にしない人)。

《会場から》
質問「ボクサーの亀田三兄弟の長男はこの中でどのタイプですか?」
岡田「彼には三つ全部があてはまりますね!。 ACの人は凄く孤独感を抱えていて、幼少期から親に対して甘えるとか、他人に対して甘える事を学んでいない。 彼も見た目はクールな感じに受け取られるが、実際はとても優しい子であるはず。 それは彼がチャンピオンになった時、チャンピオンベルトを父親にまで手渡した出来事があったり、弟が対戦相手の内藤選手に蹴りをいれた一件があった時など、亀田家サイドの対応は本来であれば、彼らの保護者でもある父親が謝るべき時に、子どもである長男が父親の代わりに謝罪していた。 この事は一家を背負って生きているのが長男で、父親は子どもに守られて育っている家族構成だという事を如実に物語っている。 彼(長男)は見た目と言動から損をしているので、本人は苦しんでいると思う」

質問 「子どもが②のタイプ(親の事が大好きで無口な子)であった場合の調布小学校の一件と比較して、亀田(長男)にあてはめると父親に対して“おべんちゃら”をする必要はないのではないかと思うのだが・・・」
岡田 「あの親子関係の裏では、父が子に“手を上げる行為”が日常的に行われていたと思う。 長男が社会の大人(メディア)に向かって発言する言葉使いが、あのような状態になったいきさつは、父が子に対し『自分が社会からいじめられたから、子であるお前はその仇を討て!』くらいのことは日常的に言い聞かせていたはず。 親自身が社会に馴染めなかった為に、結果的に子どもをACに育て上げてしまった典型的な親子関係である。」

―――「もう一つの例が、レスリングのアニマル浜口親娘だろう・・・ACでは共依存という問題があり、この親娘関係は共依存関係にある」
質問 「岡田さんご自身はこのパターンですか?」
岡田 「そうです!。私の場合は息子との関係が共依存でした。子離れ出来ない親が共依存関係を作り上げてしまい、大人になった子にまで手をかけたいと思う過剰な気持ちが強過ぎると、親が子をいつまでたっても子ども扱いしてしまう。―――このバランスが崩れ乱れてしまうと、子をストーカーにさせてしまったり、家庭内暴力を引き起こさせたりする。 親が口うるさく言い過ぎて、子が親を殺したり、子が言うことを聞かないと親が殺してしまうようにエスカレートする。
―――戦後すぐの時期では、悲惨な戦争による人の死を皆が体験していた為、現代の様な社会状況はそれ程表面化してはいなかったと思うが、戦争を知らない世代の人たちが現在の状況を作り出しているのは事実である。」

質問 「アニマル浜口親娘の娘さんをみていて、熱血漢ある父親の存在は解るが、娘に対する過剰な愛情が行き過ぎている分、彼女本人は選手として本当の強さに欠けているようにみえるのだが・・・」
岡田 「―――そうですね! 彼女自身も乗り越えられない何かに苦しんでいると思う。レスリングも本心から好きでやっているのかな!?と疑問符を付けたくなる。 親の事が大好きだから、親の為にやっている節がみられる。―――このパターンもAC化した子の典型的例で、親に理解されたい!と思う子の傾向で“共依存”だ。」

【ACという人の思考行動パターン】

資料
※100%達成の人

資料
※200%達成の人

資料
※50%達成の人

私はACの人の思考行動パターンを資料①②③のグラフのように
分類した。 ①は目標達成度合い100% ②は目標達成度合い200%
③ は目標達成度合い50%を表している。 このグラフで②の200%
タイプの人がACを表す。
―――①の100%の人は一般的大人の階段を登り成長を遂げて大人になった人。
―――②の200%の人は生れてからすぐ幼少期にかけて、親から“本来、人として学ばなくてもよいマイナス100%の要求”を日常的に求められ、すでにそれを達成してしまい、さらに大人になってもより完璧な事を求められ、トータル200%(一般の人の二倍)の目標達成度合いが成立する。
―――③の50%の人は、人として大人になる階段を50%しか登らず成長してしまった人を表す。

質問 「資料②のブルー部分(大人の階段)で、学ばなくていいものを学んでいるという意味は?」
岡田 「それは暴力の仕方や、暴言の吐き方を親から学ぶということです。 200%タイプの子どもが出来てしまう背景は、外見は大人の姿で、内面は子どものまま成長出来ず大人に成なってしまった親が、200%タイプの子を育ててしまっている。 大人(親)が、暴力と暴言により子どもを躾けていると称し行う虐待行為です。―――これは大人になってから学ぶ行為ですか!?」
会場 「いいえ! 人としても学ばなくてよい事ですね」
岡田 「例えば、性的虐待の場合を考えた時、子が親からレイプの仕方を学ぶことです。 レイプの仕方が大人になる為に必要ですか!?」
会場 「必要ないですね!」
岡田 「これらの行為を日常的に躾教育として、親が子へ教えているという現実があるということを皆さんもよく理解してほしいです。―――200%タイプの子が育った家庭環境を、この子が生れてからの回想経過を表現すると、産院で出産し終えた母子が自宅へ戻り、母親の育児生活が始まったとする。 この母親が人として成長しきれぬまま親となった親だと、子の育児自体が面倒臭く煩わしいだけなのである。 虐待をする家庭の親は、子を育てることをもって成長もしない人間であるということ。 赤ん坊が泣くことも「あなた(子)自身が悪いからでしょ!」と泣く赤ん坊のせいにしてしまい、手をかけようとしない。 言葉すら発せず泣くことでしか自分の感情を表現出来ない乳幼児であるにもかかわらず、逆に怒りで子に手を上げて虐待しているのだ。

会場の声「今までの説明をお聞きして、この200%タイプの人が育った“人としての幅”は、一般の人と比較しても人間の許容範囲は二倍も広いと感じる。 確かに子として学ばなくてよい事も学んで育ってしまったが、良い意味の見方をすれば人間として幅があると云うことではないのだろうか!?。 単にマイナス面ばかりではない気がする」
岡田 「そうです!。」
会場 「一般的な100%タイプの人が良いとばかりは言えないと思う。厳しさや優しさを学び成長した100%タイプの人は、“究極の悪さ”だとかは知らないだろう。・・・であるから、200%タイプの人の方が人間的幅があり良いと思うのだが」
岡田 「そうです! そこの部分を解って頂けたらよいですね。 世の中では虐待を受けて200%タイプになってしまった人を、悪い人だとレッテルを貼ってしまっている感がある。 例えば亀田(長男)氏とプライベートで友人関係もしくは、付き合ってみたいと思うでしょうか!?。 皆さんなんとなく遠ざけてしまうのは本心ではないですか。 実際は今、会場から上がった声のように良い人間であることには間違いないのです」 

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【インナーチャイルドという言葉】
岡田 「この業界用語は、幼少期に体験して閉ざしてしまった自分、過去の感情が、成長して大人になった時に再び現われてくる感情現象の事。―――インナーチャイルド現象を抱えた人が、一般社会の中で孤立した状況を感じ自らを苦しめることで、乗り越えられないでいる現代社会の見えない負の構造がある。 これまで話したように200%タイプの人は、人間的幅を持って要るにもかかわらず、一般社会の中に溶け込めず周囲の人にもなかなか理解されずにいる。―――ではこのインナーチャイルドの負の部分を解決するには何が必要なのかというと、異性によって自分自身の親代わりをして貰うことが重要になってくる。 具体的には、インナーチャイルドの人は、幼少期に親から愛情あるスキンシップ(例えば抱っこ)を充分にして貰えなかったので、大人になった人であってもこの触れ合いが非常に大切であるということ。―――例えば歌手のマイケル・ジャクソンが“ネバーランド”と称した豪邸の屋敷で、他人の子どもたちと一緒に生活を共にしたことは、彼がACであったという典型的例だろう。 幼少期から芸能界に身を置き、彼自身が子どもとして出来なかった事を、大人となりあのような状況を作り出した。子どもと一緒に遊ぶ生活をした事を理解できない一般の人々には、異常な行動にしか受け取られず変質者的な性癖者として批判の的となっていた。 少なくとも彼の周囲に理解ある異性がいて、親代わり的な対応をしていてくれたなら、彼は理解されていただろう。―――私の場合は、この親代わり的理解者(息子)や(異性)がいたので、大人になってからも少しずつ成長の階段を登ってこれた。 社会の中で埋もれたままのこの200%タイプの人たちは、子どもの頃から他人に気を使い気配りし、人の気持ちが判り過ぎる位判る人なので、人材育成や人の教育を行うリーダー的立場に最適なのだが、なかなかその芽を芽吹かせてあげることが出来ていないのが現状だ。

質問 「50%タイプの人は、ACではないですよね!?」
岡田 「そうですね。50%タイプの人は“大人になる為の成長の階段を最後まで登れず途中で大人になった人“をいいます。
いわゆる以前の民主党政権の方々に多くいた。 今の自民党政権にもいないとは言えないが、松下政経塾の中にはこの50%タイプが多い」
質問 「それは一言で云うと自己中(ジコチュウ)ですか!?」
岡田 「自己中心的というよりも無責任!。 あるいは、自分の責任範囲を理解できていなくて責任を取れない人。 これは彼らに言わせると、自分が責任を取ろうとしても秘書がその責任を取ってしまったり、親が取ったり教育的立場の人が出てきて、本来本人が取るべき責任を身代わりで取ってしまうといったようなこと。―――この人たちもある意味不幸であると思う。 人生は“苦あれば楽もあるさ”というように、苦労も味わい体験してこそ楽しいことを判るはずだが、苦の部分を経験できず中途半端な成長をしている。 ―――それらの不平や不満が積り積もって鬱積した感情を爆発させ、家庭内暴力という形の事件を起こしてしまうのが、この50%タイプの人に多く、“ウザイ!”という親への不満が過激にエスカレートしてしまうと親殺しが行われてしまう。」

【50%タイプと200%タイプの違い】
岡田 「この二つのタイプの人の違いは、個々の責任能力の違いによる責任能力の問題である。―――200%タイプの人の責任範囲は人の二倍もの責任まで取ってしまう。 仮に50%タイプの親だとしたら、200%タイプの子が親の責任まで取ってしまうといった様なこと。 これは一般的会社企業でもよくあることで、“どうしてそこまで責任を取る必要があるのか!?”と思い当たる人が身近にもおられると思う。 あるいは、何も悪い事をしていないのに口癖で「ゴメンなさい!スミマセン」を連呼して周囲に気を使い過ぎているような人も同様である。―――逆に50%タイプの人は、自分の責任範囲を理解出来ていないので「やります!」と発言しておきながら最後までやりきれていない人。 これは今まで周囲にいる誰かが責任を代わりに取ってくれていた為、結果的に“嘘つき”呼ばわりされているが、本人からすると全く嘘をついている意識はないのだ。

質問 「50%タイプの人と200%タイプの人の世の中での割合は、大雑把に言ってどれ位を占めているのでしょうか」
岡田 「医師の立場にいる人に50%タイプが多く、中でも精神科医や臨床心理士は顕著だと思う。 外科医や脳外科医だとオペが頻繁にあり、更には救急救命士のような一刻を争うような、緊迫した状況にいる医師では200%タイプが多い。―――医療者として医師を目指してきた人たちは、医師になる為の過酷な受験勉強ばかりに没頭してきた。 そんな通称“我利勉(ガリベン)”生活を過ごしてきた人に向かって、果して心の病に冒され悩みをもった人が相談できるのだろうか。 いくら医学の勉強をしてきた専門家であっても、そういった人が白衣を着て精神科医の肩書を持てば、患者はこれらの医師のもとに足を運ぶことになる。人としての本質を見極める事を学ばず医師となった人が、間違った処方をしているのが現代医療の現実である。

【「氣學」という人になる學問】
岡田 「数年前に“氣學”というものを学んだ。これはかつての道徳であり武士道を表し、海外では帝王学と呼ばれるもの。日本では聖徳太子が最初に教えたとされる学校の始まり。“男女七歳にして席を同じうせず”という故事がある。この本質的意味は、男は七歳から生き抜く為に狩りや英知を学び、女は生涯の伴侶を得て妻になり、子を授かり母となる為の教えを表している。―――男は生涯をかけて家族を守りいくら年齢を重ねても子どもであるといい“一徳”。女は、女から妻へ変わり母となる成長の進化で“三徳”あるという。」
―――「私の所へ中学校の修学旅行生が訪ねてくる。 生徒たちにも虐待に関する話をする中で、『我が子を虐待する人は赤ちゃんに慣れていないからですか?』と問い掛けがあった。 聞かされたのは生徒たちも虐待問題を深刻に考えていて、授業の一環で実際の赤ちゃんをあやしたり、触れ合い方を学んでいるそうだ。『こういった事を経験していたら虐待というものは起こりませんか!?』とも質問された。 ―――これについて思う事は、その授業も大切ではあるが母性というものを育てなければ、赤ちゃんは単なるペットでしかないと感じている。 事件を起こしている女性をみていると、内面は女のままだ。 妻という段階で異性である男性(伴侶)から愛情を得て、女性側からも愛情を与え合うことにより、子を産みたいと考え、授かり育児という事が行われるのであって、このステップを経験していく過程で、母性というものが芽生え育まれ成長するのである。
―――現代女性の家庭生活にあって、夫のケータイの着信履歴が気になってついつい覗いてしまうような妻というのは“オンナ”の部分が非常に強い人である。 良妻であれば夫は仕事に就いても、伸び伸びと出来る夫婦関係が構築され安定している。 女から妻となった人が良き妻となれるか、さらには良き母性が成長できるかで決まってしまう。
―――男性の場合は、皆母親的な立場となってくれる人が欲しいのであって、“オンナの母”ではうまくいかない。 この“オンナの母”部分がいじめを生んだり虐待をしたりして自殺に追い込んだり、親殺し子殺しという悲惨な結末をたどってしまう。―――これを踏まえると、特に200%タイプが母性の強い傾向にある。 この母性父性の部分を周囲の人が理解し補ってくれる必要があり、いわゆるインナーチャイルドの部分も同様に当てはまり重要な存在となる。
―――50%タイプの人が成長不足していた部分を、200%タイプの人の補助で上手に育ててくれるので、良い関係も築け70%・80%・90%と成長変化できる要素を充分に含んでいることを決して忘れてはならない。 大人の階段を過保護による無責任な成長度合いで50%のまま大人になってしまった人も、200%タイプの人の成長教育により一般的成人に成り得るのは、躾と虐待の本質的境目で虐待されていた体験があるからこそ、50%タイプの人に対して厳しく躾ける本質をもって、やり遂げられる様に見えない部分で支え導き教えられるのである。
質問 「50%タイプの人が周囲の理解によって100%に成長出来る事は判ったが、 200%タイプの人は100%タイプになる必要があるのではないか」
岡田 「そうですね!。 200%タイプの人はそこまで出来る能力をすでに身につけているので、常に200%である必要はない。ある意味人は、多重人格である必要があると思うのは、友人と話す時と上司と話す時では、それぞれ話し方が違うという意味での多重人格と例える。―――この場合200%タイプの人があらゆる面で完璧を求めるような行動を、外でも内(家庭)でもしていると息を抜く場もなくなってしまい、結局自らを追い込んで病院の医師に相談すると、分裂症だの統合失調症だの不安をあおる病名だけを付けられ、病気になってしまう。 それらは本質を見極められず育った50%タイプの医師が診断してしまうから、そういったことが繰り返し起きている。

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質問  「岡田さんのお母さんは50%タイプでしたか?」

岡田  「そうでした!。加えて“母性のなかったオンナ”です」
質問  「それは、お父さんに愛されていなかった!?」
岡田  「母は五人兄姉の末っ子で、戦争で二人が亡くなり女三人になった。 すぐ上の姉は職業婦人と呼ばれ非常に綺麗だった為、村でも人気者で母は常に比較される対象だったらしい。 そんな姉妹関係から逃れたい一心から都会への願望があり、京都西陣の叔父宅によく遊びに行った。そこに出入りしていた父を紹介された。当時他に結婚したかった男性がいたが想いは叶わず、仕方なく父と結婚する破目になった。 暫くして長男が誕生すると母は彼を溺愛し育て、二男が誕生しても二男は母にとっては“別物”で見向きもしない程の子育てとなり、溺愛される兄とは違い二男は母の愛情を与えられずに育った。やがて流産も経験した後待望の娘の私が誕生した。 私は母が溺愛していた長男から、何も判らないまま性的虐待を受けていたのだ。 私自身カウンセラーの仕事をするようになった頃から、自分の幼少期のかすかな記憶が蘇ってきた中に、母が長男の兄と性的交渉をしていた光景をうっすら覚えている」

【母の死と父の死】
岡田  「もう一つ重たい話になるが、母が先に事故で亡くなり、一年半後父も亡くなった。―――母は糖尿病で入院、認知症と軽度の脳梗塞であった為、正月休みには自宅へ帰って来ていた。 両親二人だけで正月の雑煮を食べた直後、母は喉に餅を詰まらせて死亡した。 近所に住む二男夫婦が駆けつけて嫁が父から聞いた話によると、小さく切った餅を母に与えたと父が言っていたらしいが、検死結果から喉に大きなお餅が、2つ詰まっていた事が判明した。 二男夫婦が実家に帰ると、父が嫁にセクハラをしていたらしく、嫁は恐怖で近寄らなくなった。 だが夫である二男は自分の妻に対して「年寄りだから」というばかりを繰り返し、やがてこの嫁は引きこもり自殺願望に悩まされていた。
――― この父は、母が亡くなる前には四つもあった癌が、母が亡くなった途端全て消え去り、京都から東京へ旅行が出来るまでの体に快復し、このフォーラムにも出席してくれた。 母が亡くなってから一年半後父も他界した。 父の葬儀を済ませ納骨の時墓石を開けると、母の骨壺を置いてある箇所がコンクリートで固められてあったのは、恐らく父が母の恐ろしさを怖れてやったものだろうと感じた。 母が亡くなった後、初めて父と二人だけで一日中話す機会があった時の、父の言葉を思い出した「母との結婚生活は生涯苦痛で、亡くなってよかった」と・・・その時私の感情も父と同じで、本心から楽になったと思った。

【何があっても親は親!?】
岡田 「これまで私がよく言われていた言葉がある。“何があっても親は親であって、子どものことを思っているはずだから、今は無理でも仲良くしてね”と。 さらに“親も高齢だからね”と付け加えられる。―――私たちにしてみれば、こちらは親のことが大好きで関わりたいと願って接するのだが、親の方が私を否定しているので拒絶されてしまう。 以前小学校の恩師が私の本を読み、数十年ぶりに再会した。その時、かつて恩師が私の家に家庭訪問をした時の様子を思い出し、『この母子関係は何かおかしいなと感じる部分があったが、教室で楽しく過ごす様子をみて、何かの思い違いだろうと見過ごした事を教えられ、あの時気付いていたら・・・』と言われ、私から母への仲介をお願いしたら、『私も高齢でシンドイ、自分でどうにかして!・・・』と拒まれた。

質問 「岡田さんご自身も若くして結婚され、子が出来自分が受けた虐待を息子さんにされたことは、トラウマ(精神的外傷)なのですか!?」
岡田 「トラウマと言うよりも、学ばなくても良い学習を受けたと云う方があてはまる。 私は物心ついた頃から、家庭内で家族にいじめられていたので、自分自身が悪いのだと思いこまざるを得ない状況で育った。 一般家庭で行われている普通の親の愛というものを知らないで育っている。DVの夫と結婚したのも、娘としては自分の父親と似たような伴侶を選ぶというのと同じで、夫もそうだったということ。
50%タイプの人が甘えてくるような男性を、自分で選んでしまう。―――共依存関係で成り立っていた両親(夫婦関係)をみて育った子は、結果的に依存してくる人を選んでしまう。 私の場合の離婚は、息子が自分の父親とは一緒に居たくないの一言がきっかけで、それまで息子の為を思い、主人と一緒に居ることを我慢していたので、鬱積していたDVの夫に対する感情が一気に吐き出され離婚した」

【シングルマザーとして京都から東京へ】
岡田 「息子の転校は小学二年の時だった。 慣れない環境と初めて接する東京弁の言葉使いに、息子は学校で暴力的というクラスの友達からレッテルを貼られていた。 息子の話し方はぎこちなくも標準語で、ノリツッコミも標準語でやる為に叩かれたと思われてしまい、次第に孤立していた。
その年の運動会に参加した時、息子のクラスの友達の中に私が強引に入り、関西系のノリで漫才風におどけてみせると、一転して人気者扱いされ面白い母親が受けて、息子にもその影響が移り、一気に仲よしとなり息子の誤解が解けた。―――この息子が支えとなりお互いが成長し、子の方が親離れしてくれて自立できた。

【更生するということ】
岡田 「50%タイプの人の更生という意味では、自分の目標に向かって成し遂げられる周囲の厳しい支えがあれば、育っていくのだという環境を作ってほしい。―――200%タイプの人は縁の下の力持ちとなる気持ちが強い。 特に自分の生活にパワーを使っているので、他人のことまで手を回し面倒をみるまでには至らない。 私もそうであるように、このタイプの人は常に自分探しをしている状態がある。自分の不足している部分を他人に求めても返ってこないので、仕事に打ち込むとその代償は頑張れば頑張っただけ返ってくるため、逆に頑張り過ぎてウツになる人が大半である。
――-自殺ということについても、200%タイプの人は“富士山の樹海に入り人目に触れない場所へ行き、ひっそりと死を選ぶ。 50%タイプの人は電車に飛び込んだり、他人に迷惑をかけるような死に方をする。―――過去私も自殺未遂した時は、家の布団に入り手首を切ったが、布団を汚したりしたらまた母親に“どやしつけられる”と考えて腕を上げた状態にしていたらそのまま眠ってしまい、朝起きたら傷の血が固まっていたことがあった」

会場 「どちらのタイプの人も、それぞれサポートしてくれる人が必要ということですね!」
岡田 「50%タイプの人には厳しく、200%タイプの人には優しく育てるサポートが必要です。―――前回のフォーラムでも講演して頂いている国際医療研究センター国府台病院の内科医長である三島先生の話しでは、先生が部下から何か言われたら腹が立つと云われるが、私からするとなぜそんなこと位で怒りの感情がでるのか判らない。 私の場合だと、逆に意見や教えてくれたりすると、有り難く思い嬉しいと感じてしまう」

岡田 「例え話しだが、泥棒とスパイを比較してみると、他人の家に入り込んで盗むコソ泥は、箪笥の引き出しから何もかも開けっ放しにしたまま片付けもせずに逃げていく。これは50%タイプの人であって、スパイは侵入した形跡すら消し去り必要なものだけを盗んで跡形もなく立ち去る。これは200%タイプの人だ。 TV局の取材も受けるが200%タイプは表には現れにくく道徳心が備わっているので、影像対象としては地味である。局側の人間の中にも200%タイプの人がいるので、逆に200%タイプの人を認めようとしない傾向にある。 50%タイプの人が影像的に判り易いというのは、ひきこもりだとか家庭内暴力というように、自己アピールがうまく、目に見える形があるから取り上げやすいのである。―――体罰の問題であっても同様で、かつて幼少期に体罰を受けて育った人が、それがあって成長したと思い込んでいる人が大人になり、同じ様に体罰を繰り返しているのは、過去の学習体験があるからこそ、やる体罰である。 体罰にしてもいじめにしても、無意識にやっている部分は少なからずあると思う。 子どもの頃のエスカレートさが自殺に追い込むケースにつながっている。 ある養護施設に行くことがあり、そこで生活する小学校2・3年生に私の本を読んでもらったら、子どもたちが職員にも話していなかったことを、私に語ってくれるようになった。 これは子どもであっても何か感じるもの、判る部分があるのだと実感した」

会場 「虐待問題は、マイナス面ばかりではなく、プラスの面もあるのだということを、次のステップでは表現したらよいと思う」
(了)

6月 10 2013 | ご報告 and 活動報告 | No Comments »

第22回いじめ・虐待防止フォーラムのご報告

【第22回いじめ虐待防止フォーラム】

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2013年(平成25)1月15日(火) 新宿区若松地域センターで、サークル・ダルメシアン主催(後援:新宿区)による“第22回いじめ虐待防止フォーラム”が開催された。
第一部は(独)国立国際医療研究センター国府台病院内科医長の三島修一医師による特別講演 標題:{『出会いに学ぶ』生き方~傾聴がもたらすもの・傾聴を妨げるものパートⅡ(実践編)}が語られた。

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 第一部:三島修一医師特別講演

「私は医者という職業に就いてはいるが、病院での診察時医師である前に“ひとりの人”として接することを常々心掛けている。 まず対話を尊重し人間理解を念頭に置き、出会った(診察)方々皆さんが元気になって帰って欲しいと思っている。 私自身も同様で“自分自身がこうなったらいいな”という「願う感覚」については誰もが非常に敏感だが、心の中の自分を否定するような要因(疎外因子)を、取り除くには何をどうすればよいのか、導き出せるような講義内容にしたいと思う。

【伝わっているのは心のエネルギー】
私に娘(長女)が生れて、彼女がようやく伝い歩きが出来始めた一歳前の出来事。 妻(母親)は、娘がこたつのテーブルの上に上がろうとする度「こたつに上がるのはダメ!」と叱り続けていた。 ある日、私と娘が二人きりになった時、こたつに上がろうとする娘に「危ない!」と一言叫んだ。この時私の感情は、娘に対して込めた愛情と、娘が痛い思いをするから危ないという思いで声をかけた。 この一言から娘は二度とこたつの上に上る行動をしなくなった。 それまで妻は娘の危ない行動に対し、危険だから制止させる為の説明を一歳前の娘にしていたと思う。当の本人にとっては母親が叫ぶ“この説明”を理解することが出来なかったと思われる。私が娘に対し危険な行動を制止させた一言の中には、勿論父親としての愛情もあったが、“心のエネルギー”を娘に伝える事が大事であった。
この“心のエネルギー”を伝えることにおいて非常に参考となるのが、「ナショナル・ジオ・グラフィックチャンネル」TVの“カリスマドッグトレーナー”という番組である。 番組内容は、飼い主の言うことを聞かない犬を、躾なおす過程を教えるもの。トレーナーの訓練治療方針は、犬より前に飼い主側の心の修正から導きだし、最初に教授される言葉は「穏やかな心で、かつ毅然として」が第一である。飼い主側がキリキリした感情で接すると、犬にもその感情が伝わり反発してしまう。トレーナーの指導にかかると、明らかに改善されていくのがよく解る。 機会があれば一見して頂くとよく、オススメである。

【驚くべき友人の体験から】~「肌で感じた医療者の発するエネルギー」~
私の友人の自宅が不幸にも火災に遭い、家族は既に避難していたのだが気が動転していた友人は、家族を救おうと火の中へ飛び込み、気道熱傷(肺のやけどで非常に危険な状態)の重傷を負った。
この彼がICU入院中の体験談である。
―――彼曰く、病室入口に看護師さんが立った時、人により「肌の感触」がいろいろに感じられた・・・ある人は「冷たさ」を感じ、ある人は「針が肌を指す」感じ、ある人は「温かさ」を感じた。 この時声は出ない状態であったが、冷たさを感じた看護師さんに抱いた感情は「冷たいその手で俺を触らないでくれ!」と思わせるほどのリアリティ(迫真性)があった。―――このことを彼から聞いた私は大きな衝撃を受けた。 人は身に起きた生命の危機に直面した時、人間本来が持つ感覚が鋭くなるようである。 皆さんはいかがですか!?・・・(会場に投げかけて)―――岡田「マッサージを受けた時、人により手の感覚が違うなと感じることありますね」。

気功を勉強した時に学んだことが、内気功と外気功というものがあることを知った。
内気功とは自分で行うもので副作用はないが、外気功は“人から受ける気のエネルギー”をいう。邪悪な気のエネルギーを受けてしまうと、精神に支障をきたす恐れがあり、それ程人が持つエネルギーというものは、多大な影響を与えてしまうことを私たちは知る必要がある。 こういったことを踏まえて、我々の身の周りに起きた問題を解決するためのツール(道具)で必要なものはというと、まず“理論の考察”(物事を明らかにする為によく調べ考えること)・方策(手立てや戦略)・アクションプログラム(行動計画)で、更には個人の内なる感情・意思・願い(エネルギー)・友情・絆・出会いの喜び・一緒体験。 これらは、決して無いよりあったほうがよいというものではなく、限界を突破する為にはどうしても必要なものである。―――女子サッカーチームの「なでしこジャパン」が宿敵アメリカを下したことも、選手同士ひとり一人の絆の深さがあったからこそ成し得た偉業であり、見ていてもそれを肌で感じられる程に解ったと思う。 「そうは言っても・・・だけど、・・・でも私はそんな聖人君子みたいなものにはなれないし・・・なりたいとも思わないし・・・人間だもの・・・」未熟な私たちが、どう自分の感情を本来化(ありのままの姿)していけばよいのでしょうか。それは“出会いに学ぶ”智慧が必要です。

【出会いに学ぶ】
これを大前提として、妨げるものは何があるのか。
私たち人は、相手への“願い・思いやり”を自分の中で意識化しやすい反面、過大評価もしやすいことを忘れてはならない。 「私は、あなたのことをこんなにも大切に思っているのに・・・」とか。 相手との交流を妨げている「自分の内にある“疎外因子”は通常意識化出来ない。(例えば家庭生活において、母親は自分の子どもの事を思って、一生懸命小言を言い続け、聞く側の子どもは聞けば聞く程、親の“上から目線の指摘”にやる気が起こらず、傷ついているようなこと)
目の前の方の不安・恐怖・孤独の声なき声をかき消すものは、「もういい加減にして!」というこちら側の被害者意識⇒「もう私には無理!」という諦め⇒「これは治らない病気!」という決めつけ⇒「私がやれるところまではやるけど、後はあなた次第!最終的には私には関係ない!!」と思う“そこはかとない相手との距離感”であり、私たちはこの限界を突き破りたい―――であるなら、私たち自身の内面に肉薄する必要がある。 私たちの内にある被害者意識・あきらめ・決めつけ、これらを止めることは通常困難で、「聴かないといけない」と判っちゃいるけど・・・どうにも聴けなくなる。 この自分の感情への取り組み⇒“逆転移”の取り組みが大切な入口となる。

【逆転移―――治療を妨げる医療者側の感情】
“逆転移”とは出会い(診察治療)を妨げるこちら側の感情のことで、医療現場ではネガティブ(否定的・消極的)な怒りの感情と恋愛感情もある。
『転移・逆転移』―――精神分析用語で“三つ子の魂百まで”と言われるように、生育時に獲得した(獲得せざるを得なかった)人間関係の有様が、治療としてのカウンセリング場面(良い悪いの問題ではなく、必ず出てくる感情)に必然的に出てくるもの。 この逆転移という専門用語をあえて使う理由は、出会いの際に必然的にもたらされる私たちの感情が、単に「個人的問題」ではなく関わりの中で、必然的にもたらされる大切なテーマであるということだからである。―――私もかつて診察面談時、攻撃的な言動を浴びせられると怒りが湧きあがっていたが、今では相手の様子を伺いみられる余裕を持て、楽な気持ちで聴く事が出来ている。

【逆転移の具体例】
無意識レベルの相手の(破壊的)関わりパターンに呑み込まれることで、交流分析にある有名な話がある。
子:パパ、僕バカだよ!。
父:お前はバカじゃないよ!お前はこんな事も出来る。
子:でも、○○も出来なかったし…、僕バカだよ!。
父:バカじゃないよ!こんな事もあったじゃないか!。
子:でも、やっぱり僕バカだよ!。
父:お前はバカじゃない!。
子:でも僕バカだよ!。
父:お前はバカじゃない!何度言ったら解るんだ!このバカ!!。

―――この“逆転移”という現象になぜ人は呑み込まれるのか、それは熱心さゆえに相手を変えようとすると呑み込まれてしまうのである。肉親であればある程、親しい関係であればなおさらである。以前の私もこの父親のようになるのを恐れ、呑み込まれないように壁を作り無理をしていた時、恩師から「最初は呑み込まれていいんだよ!」と言われ気が楽になり、徐々に自分のペースで診察面談出来るようになった。

【ペットボトルに入ったお茶っ葉のたとえ】
お茶の葉が沈んでいるペットボトルを自分自身として考え、そこへ外から衝撃が加わったと仮定する。 それまで綺麗だったペットボトルの中身は、衝撃によりお茶の葉が澱み濁った。これは私(ペットボトル)に衝撃を与えた“あなた”が、私の心を濁したと感じる。だが、はたから見ると「もともとお茶の葉があったから濁った」とうつる。―――お茶の葉が衝撃により浮き上がった時(=怒りの感情が湧き上がった時)は、お茶の葉を掴み取り出す(浄化)ことが出来る絶好のチャンスである。 私たちの感情もこの濁る原因となるお茶の葉を掴み取ることを繰り返していくと、同じ衝撃を受けたとしても徐々に濁らなくなる。 次第に「出会いへの具体的な感謝」が自然と湧き起こってくる。 この出会いがあったからこそ、自分の内なる“疎外因子”を発見・実感でき、本来化された自分へと導かれる。

【嫌な「出会いにも意味があるのか】
お互い未熟な人間同士が、ままならないこの世界にあって、どうしたら最も人間らしく生きることができるのでしょう。“Which do you prefer?”(あなたはどちらを選びますか)」―――「出会い」を排除のポリシー(方針)でいくのか(自分に都合の悪い嫌なことは切ってしまうか)、「出会い」を理解し関わり続けるポリシーでいくのか・・・どちらでいきますか!?。
人生最後の時に、どちらの生き方が幸せ(心の安らぎ)をもたらすのか。「出会い」の中には、理解し関わり合いを持つことにより、新たな発見やそれまで経験したことのなかった違った世界を、体験出来たりすることもあります。 人生において乗り越えられるべきこの誤謬(ごびゅう:誤りや間違い)、嫌だなと思う出会いに遭遇した時、積極的な人は①早く結論を出そうとして、相手を説得もしくは変えようとしてしまう。 内向的な人は②「私とあなたは別々バラバラで何の関係もない。私は私、あなたはあなた」というように縁を切っていく。 このような内向的な人は、出会っているというだけで既に相手に影響を与えているので、自分が変われば相手は変わる可能性が出てくる。

【私が医師となった駆け出しの頃の話し】
当時診察した患者の一人に、他院で「心身症と難治性気管支喘息」と診断された方を診ることになった。 被害者意識が非常に強く、都内の病院でも医療スタッフとすぐにケンカするといったことを繰り返し、病院を転々とされた末の来院だった。 現在私が勤務する病院において、この当時の心療内科は開設されたばかりで、私ひとりの医師しか在席しておらず、この患者にかかった診察時間は毎回3時間で、繰り返し過去の病院対応の悪さを浴びせられていた。 三か月間繰り返される同じ内容の話を、聞き役に徹した末私は、この患者に「被害者意識の方向ではなく、このような見方・考え方があるよ!」と本人の意識を引っ張ったところ、喘息発作の憎悪という結果を招いてしまった。―――これによりカンファレンス(院内会議)がもたれ、当時の院長であった吾郷晋浩医師に「三島君はまだ聴いていないね!この方は聴けば必ず良くなる方だよ」と優しくも説得力ある一言を言われた。
私は“聴けば良くなる方で、良くなっていないということは、まだ私が聴いていないということなんだろう”と素直に受け入れてみた。―――それまでの“傾聴”の実績を横に置き改めて聴き始めたところ、この患者からこれまで三か月間の主治医である私の“不適切な対応”について事細かに語ってくれた。その時私の不適切と感じさせたことについては率直に謝罪した。 患者から「どうしてあの時は解ってくれなかったの!」といわば完璧を求められた時、優しく「NO!」と言い「私も未熟だった為で・・・、ただあなたに良くなって頂きたい!その一心で対応してきた」と、私自身の願いをはっきりと表明した。 治療を振り返ってみてこの“謝罪と願い”の2点を伝えたことが大きかったと思う。
―――その後、一か月で喘息発作はみるみる改善され(点滴回数も日増しに減少)、同時に診察面談も3時間だったものが徐々に少なくなっていき、「あれ!?、もう話すことないわ…」と思うほどになり、「一体これまでの三か月間の診察面談は何だったのだろう」と自分を振り返らずを得なかった。

【医者という目線と人としての目線】
それまでの診察面談は、医療者(私)が上で患者は下という前提があり、「聴いてあげる」診察面談であった。 “これだけ聴いてあげたのだから、今度はあなたが変わりなさい!”というギブアンドテイクの診察面談で、癒されないものであった。
―――「私が患者であったら、こんなことは私も嫌である」 “傾聴”に関する決定的ポイントをこの患者から教わり私の傾聴の師匠となった。 今でも外来でお会いする度、お互い遠くからでも人目を気にせず手を振り挨拶する仲で、この方と出会わなかったら今の私はない。―――「あなたの目の高さは?」どこにありますか・・・高慢になりやすい私の受戒は“目線はもっと低く・もっと透明に”を常々心掛けている。 この目の高さを相手と同じか低くすると“傾聴”で疲れにくくなった。聴いていて多少疲れを感じている時は、自分自身に“こだわり”が残っていると思う。“○○である前に一人の人間・医療者は患者よりも上”という先入観から自由になることの必要性を忘れてはならない。誰もが発展途上人で未熟さがあることを認めつつ、しかし医療者としてのヴィジョン(未来像)は抱き続ける意思の尊さが、医療者としての最大の強みである。これは医療者のみならず日常生活においても同様で、弱者の立場となった時、目の前の方がどのようにみているかが、肌で感じられるようにわかるもの。

【問題解決につながる“傾聴”とは】
まず、是が非でも問題を解決したい!しなくてはいけない!という切実な願いが前提として動機があること。 発生した問題の現われだけでなく、その背景にある「感情」を聴くこと。問題を引き起こすエネルギーの流れ、エネルギーロス、エネルギーの奪い合い、エネルギーの悪循環などをつかめるように聴くこと。 感情の奥底にお一人おひとりの魂の願いがあることを見抜き、それらを更に深く感じたく聴くこと。 「どんなに表面が荒れたものであろうと、自分は自分らしく皆と一緒に活き活きと生きたい!」という願いは皆さんもたれていると思う。―――例えば、リストカットしたとしても、過量服薬したとしても「イキイキ生きたい!
と願っているから逆のことをしてしまう。 過量服薬した時も“通り一遍にダメ!”と言っても逆効果である。 「…本当はそんな事したくないよね!」と寄り添う気持ちを投げかけた上で、「やはりそれは止めよう!」と気付かせることが重要なポイント。

ある母親が家に引き籠ったままの息子に対して、不安や不満を抱えていたとする。 母親はそんな状態の息子の姿をみて「試練」だと感ずる。 だが母親の立場からすると、本当に自分が守りたい一つのものを深めていくと、「息子は息子らしく自立して、イキイキと生きて欲しい!」と思う事は、親として本来の願いであろう。 ただし、引き籠る息子を母親として自分の試練だと感じていない母親だとすれば、息子に対して愛情を抱いていないものだ。 試練のあるところには、必ずその人が持つ願いというものが存在する。

【「感情」が持つ決定的影響力】
私たちの内界(心)と外界(現実・患者)とはつながっている(one unit)。 「私が変わります」という必然と必要性は、○○という立場だからそうしなければならない!というのではなく、道徳的にもそうしなければならない!というものでもない。 目の前の出来事の少なくとも半分は、自分自身の影響だとしたら、自分自身の成長のためにも、そしてその結果良い方向へ向かうなら、それは本当に嬉しくワクワクすることだ。 「私が変わります」という感覚は、例えばA~Bへ変わるというものではなく、本当の自分へ深まって戻っていくという感覚だろうと思う。「・・・そうだ!自分はこれをしたかったんだ!」と自分回帰・再発見の感覚であって、これを体感すると本来の自分なので疲れにくくなる。

もし、私がAさんに全く愛情をもっていなかったら、単に気にもかけず「フン」で済む。または、「屈辱感」でAさんに対して「フン」で済まずに怒っている場合は、「本当のAさんは、悪口を言うような人じゃない!」と思う。 これは、相手に対する真心としての怒り、「純粋な怒り」が確かにあるということで、「愛の反対は無関心」といわれる所以である。

マルクス・アウレリウスの「自省録」
第4巻18から

『隣人が何をいい、なにをおこない、なにを考えているかを
覗き見ず、自分自身のなすことのみに注目し、それが正しく
敬虔であるように慮る者は、なんと多くの余暇を得ることで
あろう。(他人の腹黒さに眼を注ぐのは善き人にふさわしい
ことではない。)目標に向かってまっしぐらに走り、わき見
するな。』
岩波文庫 神谷恵美子訳より

―――ローマ皇帝であったが、病弱な哲学者だったマルクス・アウレリウス。 2000年前の人が、現代人である私たちにエールを贈っているような珠玉の言葉だと思う。

【宮沢賢治の「雨ニモマケズ」】
この詩は、彼が亡くなる2年前に作られた作品で、結核の症状が悪化して死を覚悟した時、彼の中からあふれ出た心の叫びであったろうと思われる。 これは現代版の“祈り”で「そういうものに私はなりたい」と切に思い願うことは、愚かさと共にしかし同時に天に向かっての心のベクトルである。 この「祈り」とは目を瞑ることではなく、現実の厳しさ・自分の愚かさ(内界と外界)に眼を開きつつ、天に托身することである。―――願をかけて拝むといった行為は、御利益を得たいとする欲求の願望であって、この「祈り」の場合同一ではない。本来「祈り」とは、未熟な人間・私たちが不条理・不合理なこの世を“最も人間的”に生きる為に必要なプロセス(手順・過程)である。 「祈り」は決して空虚なものではなくエネルギーであり、人本来の姿・表情を「想う・念じる・ありありとイメージする
出会いがもたらすものである。

【内界探訪  ~自らの願いの発見に向かうには~】
1 出会いに生じる様々な感情を、正直に意識化する必要がある。
2 その感情を「本来化(本心に還る)」必要がある。
―――自分自身の感情がどのような感情なのか自分で掴みきっていない時、感情がイライラしてしまう。 その時に“止めて観る”必要があり、これを行うことを“止観”という。

《止観》の効用…止めて観るまでは解らなかった…
―――止観してみると「気持ちが落ち込んでいるようで、実は怒っていた⇒怒っているようで、実は寂しかった」―――止観してみると、何か出来事が起こった時、内界(内面)に意識を向ける習慣がつく⇒“私変わります”の大切な一歩である。 私は、この止観する為に参考として実践しているのが、『高橋佳子著 三宝出版「あなたが生れてきた理由」』にある“止観シート”の活用。これは人の内面に起こった瞬間の、自分の心の動きを観る手法である(カメラでシャッターを切る瞬間的感覚)。

1 出来事  …日頃口うるさい夫が、玄関のドアを開けた時の「カチャッ」という音
2 感じ   …その音を居間のソファーに座る妻が、聞いた瞬間の感情
3 受けとめ …「嫌!・ エッ!・ またか!
4 というような一言の感情
5 考え   …それに対する心の動き
6 行為   …自分自身の行動・仕草・動作
―――これらの感情をその時々に“心に止めて観る”訓練を繰り返し行うと、この瞬間自分の心の動きを掴んだら、出来事で出てきた呟きを拾い書きだしてみる。 人により多少の時間差はあるが、それまで掴めなかった自分自身の感情に、“ちょっと待てよ!”とブレーキをかけることが出来るようになる。
かつて診た患者で、極めて強い被害者意識を持ち、1型糖尿病に加え摂食障害を負った方と出会った。 その時“止観シート”を実践していったところ、最初はその方の話を聴くことしかできなかったが、次第に患者自身が自分の内面をみつめる必然性を感じられるようになっていき、同時進行で医療者の私と患者との診察面談が深まっていく体験をした。 この方と出会わなかったら今の私はなかった。 医療者側の私も止観シートの取り組みを行いながら、この患者との診察面談中新たに感じるものが発見でき、次回の面談にその発見を活かすと、患者側も相乗効果となり回復速度が増した。 この止観シートの活用以後、このようなことは1度や2度の体験ではなくなっていった。 ―――スイスの心理学者で精神科医のユングが挟持性(そばから力を添えて助け支えること)を唱えていることに似た心境現象だったと思う。 “私変わります”によって現実が変わった最初の体験であった。

【被害者意識・自己憐憫(じこれんびん=あわれむこと)との対峙・浄化】
かつて内科だけだった病院に、心療内科という新たな診療分野が加わった頃、心療内科に来る患者は医療者側からすると、我儘ではないのだが我儘な患者のように思え、手が掛る患者としてみられていた。 当時の看護師もそのストレスを受け、主治医である私にその“はけ口”を浴びせてくることが繰り返されていた。 止観シートを試みていた私は、一か月程経過した時同じ様な状況に、看護師がまくし立てるように言い寄り、自分の中で被害者意識が湧きおこってきたのが客観的に解り、心にストップがかかった。―――その時、怯えた看護師の表情がはっきりと見え、「この怯えた表情にさせてしまっていたのは、当の私だった」というのが瞬間的に納得した出来事だった。 病棟内のピリピリした雰囲気を作り出していた大本は自分が作り出していたことに気付いた。 このことがきっかけで「ごめんなさい!ありがとう」という素直な言葉が言えるようになり、針のむしろと感じていた病棟から、働き易い職場へと変わっていった。

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第二部

サークル・ダルメシアン代表 岡田ユキによる講演
~岡田式AC判別法~ *AC(アダルトチルドレン)とは、子どもの頃から子どもらしい振る舞いが出来ず、常に大人の対応を強いられていた子どものことをいう。

【親から受けていた過度な抑圧(私の生い立ち)】
私は幼少期、親から過度なコンプレックス(心の中で抑圧され、意識されぬまま強い感情を担い病的行動の原因)を与えられていた。 母親からは「お前はダメな人間!悪魔の子だ!」と言われ続けて育った。 私が生れる時の母親は難産で、母胎検診時医師から“逆児”の診断をされ、逆児矯正体操を繰り返していたが、後日再検診で誤診だったことが判明し、この時の体操が原因で“横児”となり父親は医師に呼ばれ、「母子どちらかの生命が絶たれる恐れがあるので、覚悟しておくように」と伝えられたが結局一晩掛りの難産の末、両親念願の女児の私が生れたのだった。
普通の家庭家族であれば、待望の可愛い女の子が産まれたら大切にして育てるのだろうが、両親の場合二人とも“大人になりきれぬまま”子が生まれ親となってしまった為に、難産の苦労を課せられた上、“夜泣きでぐずる厄介な子育てを強いられたこの子が悪い”と思い始めた。 私が物心ついた頃の両親は、言葉の暴力と実際の暴力を娘の私に繰り返す毎日で、生れたこと自体を全否定され、人格なんてないというような家庭で育った。 こういう状況だったため、周囲に対して気を遣いすぎる子に成長していった私も、“AC”と言われる人である。
このACの人を世間では、悪いイメージとして受け止められている。 自分で言うのも変ではあるがACの人というのは実は素晴らしい人である。 これは私自身が、自分の思考行動パターンを解った時「なんて私は素晴らしい人間なんだろう!天使みたいな心の持ち主なんだ」と気付き、サークル・ダルメシアンという会を立ち上げて、世の中にいる天使たちを集めたいと思った。

【ACの見分け方3つのポイント】
例えば“ACになれる人となれない人”がいる。 これと同様にいじめる子といじめられない子との見分け方・虐待の見分け方には、3つの共通したポイントがある。 その分類は
1 優しすぎる子
―――「優しさを通り越して“過ぎる”子は、その優しさに託けて悪い意味で利用しようと、つけあがる子がでてくる。

2 親の事が大好きで無口な子
―――「親との会話が幼少期にできず、上から目線の押しつけによるペット状態で扱われていたことにより、親の言う事を聞かなかったら叩かれる、あるいは言う事を聞くまで虐待暴力を受けて育つ。 自分の主張をしようものなら「その物の言い方はなんだ!そういう言い方では通じない!お前は何が言いたいんだ」と親が拒絶させてしまい無口な子になってしまった。

これは“親の自己中心的勝手な押しつけ”で躾ようとしているためであり、子から口答
えされることが怖いという裏返しの心境による。 “いじめている人というのは、いじめられている人がどれ程辛いのかを解ってやっており、いじめは意識して知っていてやる構図”である。―――いじめる側の人は、いじめられた人が思い通りに潰れてくれればよいのであって、泣いてくれればよいし、落ち込めば本望と考えるものである。逆に何の反応も無くめげない人であれば、更にいじめはエスカレートしていくのがいじめる側の心理だ。―――子は親に好かれたい一心で大好きな親に接するが、親からすると“出来る子”をみてしまうものだから悔しいと思い、だから親は子をいじめたくなる心理が働いてしまうのである。 親は自分自身が、よくないことをしていることは解っているので、子が反発口答えすることを頭ごなしに押さえつけることにより、無口な子になってしまうということ。
―――このような子は家庭の外に出ても、自分の親からやられていることは一切口にはしない。 これは親の事が大好きだからという“子の本能”で、大抵の人はある程度大人にならなければ、自分が親にいじめられていたという事実を、認識できないままでいる。

3 天然ボケの人
―――私もそうなんですが、一言で言うと“器の大きい人”のこと。 具体例でいうと、ある日、友人が怒る場面にいて「なぜそんなに怒るのか!?」聞くと「電車に乗り込む時肩がぶつかった!とか、自分より先にエレベーターに乗り込んだ!」とかいった些細なことで怒っていたことが解った。 この友人に対して私の場合は、人に酷い事をされても2・3日経過してからようやく気付くほどの感覚だった。―――この出来事がきっかけで“自分はどうしてすぐに腹が立つような感情が出てこないのだろう!?”か考えたところ、“自分の器が大きいのと、優しすぎる”ことに気付いた。 幼少期親からそれ以上の酷い事をされ続けていたので、友人がうけたような“その程度”のことでは、怒りの感情は湧き起こってこないことが理解でき納得した。

*以上の3つの要素を踏まえ観ると“虐待を受けて育った子だな!”ということが見極められる。大人の場合も同様で、この3つを重要視しながら観察してみると、幼少期に受けていた「虐待の道のり
がみえてくる。

【2パターンある虐待の形】
1 言葉的暴力・肉体的暴力・性的虐待・ネグレクト(育児放棄)
―――かつて虐待の問題を、行政に投げかけた件があった。
私が虐待を受けた時の原因は誰だったのか!?『虐待死をまぬがれて』という小冊子を、10年前行政向けに配布した頃の時代背景は、“大阪教育大学付属池田小学校無差別児童殺傷事件”があった。―――この時の殺人犯宅間守という人間は、児童を殺したという悪い人間ではあるのだが、彼自身幼少期から虐待を受けてきた可能性があると今でも思っている。親に対して行いたかったことを出来ずに、悲しくも弱い立場の子どもたちに向けてしまったのではないのか…と。 行政に働きかけて“虐待死をまぬがれて”を無料配布するに至った。 この時、行政担当者と話す中で「世の中に100%の人間はいない」と言われたことに衝撃を受けた。 それは、私の幼少期母親から常に100%を求められ続けて、出来ないといじめ虐待を受けていたからだった。

私には、5歳上と7歳上の勉強だけはできる兄がいる。
小さい時から両親にこの二人の兄と比較され、「どうしてあんたは出来ないの!?二人の兄はできるのに」と言われ、子どもの私は頑張り続けるしかなかった。
―――例えば、ボクシングの亀田(兄)がチャンピオンになった時、戦いに勝ったらベルトは1個だが、彼は父親の分もチャンピオンベルトを受けたことがあった。 彼も小さい頃からボクシングに情熱を注ぐ父親に育てられた。 彼が、この父親に育てられてきた過程ではおそらく、「自分(父親)は社会で負け続けてきて、周りには悪い奴ばかりだった。だからお前(亀田兄)はボクシングで強くなり、チャンピオンになってそいつらを見返してやるんだ!お前がその仇をとるんだ!仇をとらないと俺の子じゃないぞ!」と言われた位のことを、父親から洗脳され続けて育ってきたはず。 子にしてみれば「チャンピオンになれたのは、陰で支えてくれた親父のお陰だから、父親にもベルトをあげたい!」と親を想う気持ちだったと思う。―――彼(兄)の弟が内藤選手と対戦した時“足蹴り”をしたということで、大きく報道された一件があったが、この時父親は一切メディアに登場することはなく、兄が表に出てきて謝罪会見をしていたことも、子が親の責任までとっている例だ。 彼(兄)も幼少期に親から100%の要求を課せられ、更に100%を自分で背負い、200%の力を発揮せざるを得ない育ち方をしてきた“虐待の構図AC”である。

2 過保護による虐待
―――もう一つの虐待といわれるものは“親の過保護”によるもの。
親から過保護一辺倒に育てられ、幼少期から「あなたは出来る子!」と過剰に言われ続け育ち、本人もその気で社会に出てしまうと、他人から何か指摘されるようなことを言われただけで、怒りの感情スイッチが入り“キレル・怒り・腹が立つ”といったようなことになる人のことである。 このように育った人は、「自分で責任をとりたい!」と思っていても過保護過ぎる親が責任をとってしまうので、自分の意思を貫き通せず不満が鬱積した状態で成長してしまう。 親が与えるものは環境・お金・愛情まで、しまいには友達までも親が与えてしまうので、自分で友達を作ることすらできないで、引きこもり状態となっている。
一般的に言って普通の人を100%の達成目標とした時、過保護で育った人を50%の達成率で大人に成長した人、虐待を受けて育った人を200%の達成率で大人になった人と、岡田式AC判別法では分類している。 現代社会における虐待の社会構造は、50%タイプの人と200%タイプの人、この両タイプの人で構成されているのが現実の問題である。
200%タイプの人の現状というものは、ほとんどの人が知らないでいる。医師や臨床心理士は50%タイプに入る人が多い。 この50%タイプの人が、日常医療現場やカウンセリング診断治療を行うことにおいて、200%タイプの人が経験してきた状態を理解出来ていない為、“50%タイプの過保護成長による上から目線”の対応しかできていないということが、現在の大きな社会問題の現況である。―――今回も出席下さっている医師の三島先生は、この200%タイプの人の傾向を理解し受け入れておられるので、私からの意見を投げかけても、両タイプの人を診られる目線で接して下さるし、病院の患者診察時でも「どっちのタイプかな!?」と活かす治療を実践されている。

三島先生が講演の中で言われた「“自分の怒りを観る目を止観させる”」重要性を私たちに教えて頂いた。―――200%タイプの人は、これとは逆で“怒り”という感情を出す自分であらねばならない。 “怒り”を出さず感情を押し殺し閉じ込めた状態や、張りつめたまま限界を超えたような感情だと、自分の親を殺したりまったく関係のない人に危害を加えたりしてしまう。 これは、子どもの頃から自分が我慢することを極度に強いられていたことと、過剰過ぎた努力を長期間に渡り続けてきた為、自分というものを安らげてあげることができなかった結果の現われなのである。
―――では、何をどのようにすればよいのか。
自分の人格を全否定されて育った人は、自分の思っていること(感情も含め)を、素直にストレートに相手へ伝えることがまず第一。 “気を使い過ぎている自分・優しすぎる自分”を、自分の中で理解してあげることが大事である。 そうでないと、周囲の誰かが(悪い意味で)利用してやろう!と企て、付け込んでくる人が必ず現れ、ますます自分自身が苦しくなる。―――50%タイプの親に対して、200%タイプの子どもが出来て上下関係を作り、“いじめの構図”が出来てしまう。 これは友人関係や夫婦関係においても同様な状況をうむ。この場合の上下関係の縁は切ることができるが、切れない関係が職場での上司と部下といった状況で、苦しい立場が続き悩んでしまう。 200%タイプの人がなかなかこの状況から抜け出せない最大の理由は、“子どもの頃からいじめられている事に慣れてしまっている”からである―――私の場合もそうであったように。

私の父親は、京都の西陣織の職人として家で働き、母親はその仕事を支える夫婦だった。上二人の兄が育った境遇は、仕事をしていた両親に代わり母親の従妹が家事・育児全般を任されていた。 二度の流産を乗り越え待望の娘、私が産まれた時にはこの従妹はおらず、両親の初めて行う育児が始まったが、子育てが苦痛に変わりやがて憎しみにへと発展、虐待を招く結果となった。 私は0歳からこの状況で育ち、3歳くらいになっても人格の全否定で育てられた。 自分がいじめられている状況を認識出来る訳もなく、これが当たり前と考えるのは当然。 他の家庭の親も、子どもに対してこういうことをしていると思っていた。―――幼少期を過ぎ自我に目覚め始め、友人が出来自分の家庭で体験してきた事を話し出すと、明らかに他人とは違う現実を知った。それまで自分が受けて来た親からの虐待は、間違いではないのか!?という疑問を徐々に感じ始める。 周囲の状況と違う自分との溝は感じてはいるのだが、それが何なのか!?“合わない理由”が自分で理解できぬまま、一生懸命頑張り過ぎる自分だけがいた。―――周囲の人(大人)が「親に叩かれるとか、アホ!とか言われるのは、あなた自身が悪い事したからじゃないの!?ご両親はあなたのことを思って接しているはずよ。子どもを憎いなんて思うことはない!」と繰り返し言われていた事実。 よって“より良い子”を演じなければいけない状況に、追い込まれてしまう悲しい現実。 これが世の中へ出た時“より良い子”の部分が、いじめられる原因を作り出ししまっている。 虐待を受けて育っているが、かつて親がしていたような行為を友人や上下関係に求めてしまう自分がいて“酷い事”を言ってくれる人に頼るような構図を自らが作り出している。

会場からの質問
「私の母親は東北の出身で、祖父は漁師。 酒を呑むと卓袱台をひっくり返して暴れるような祖父だった。 この祖父の娘である私の母は、祖父が自分(私の母親)に対してやったようなことを、私にも繰り返していたのだが、このことについてどのように思うか」
―――岡田「これが“虐待の連鎖”という典型的な例ですね。」

【親になる為の教育】
私たちは、親になる為の教育を受けたのだろうか!?。子を産んだらどのように育てたらよいにか、学校では習っていない。 その部分は避けてセックスの問題であったり、男女を別々に分けて性教育について授業されている。 例えば子が産まれ親となった夫婦が生れて来た子に対して、どういう言葉かけをしたらよいのかとか、どのように子育てをすればよいのかといった教育は一切なされていない。 そうすると、子育てを行うお手本的教材というのは自分の親以外にはないので、親から受けた教育をそっくりそのまま受け継ぎ子育ては行われる―――私もそうであったように。
かつて私も息子を叩いたりしていた時期があった。 その時自分の中に“オカシイナ!?”と思いつつも、私は親から“それ”を身をもって体験し教わっていたので、そのまま息子に対して同じことをしていた自分がいた。 言うことを聞かない時には蹴ったことさえあった。 自分の気持ちが治まらない状態で、息子をほったらかしにしていたが、彼を傷つけてしまったことは解っていたので、息子には「なぜ怒ったのか
その理由・原因を時間がたってから説明し、納得してもらい息子も解ってくれた。このようなことを私と息子の間で繰り返していくうち、私が親から受けた“虐待の躾”を断ち切ることができた。この虐待の連鎖から解き放たれた時、「私の親は、この解決の仕方を知らなかったのではないだろうか!?」と思い、母親にこの状況を教え話したところ、母親は解っていた上でやっていたことを知り、ここで初めて自分の親への怒りが出て“親を殺したい!”ほどの怒り憎しみが沸いてきた。―――皆、結婚したら妻になれて夫になり、子を産んだら親になれると思い込んでいるが、実際のところそうではない。
その昔、日本では“氣學”という学問があり、そこでは、男性の場合は生涯男の子であり、女性の場合は女の子が妻へと変わり、母へ変わっていくといわれていた。―――「男女七歳にして席を同ぜず
という諺がある。 なぜ七歳にして男女が同じように学ばないのかというと、昔の女性は十二歳くらいで結婚、嫁いで子を産むことが多かったことにより、女として妻として母になる教育を、人としての心構えで植え付けることが行われていた。この“人になる教え”を行っていたのが母親であったり、祖母や地域の方々であった。
ところが現代において地域コミュニティー自体が崩壊しつつある中で、核家族の影響もあり夫婦二人だけの狭い視野で行わざるを得ない状況だ。 成長しきれず育った男女に子が産まれ、成長出来ず親になった男女は、結果的に子を育て教えることが出来ず人を作ってしまう連鎖を生む。
母性を引き出してくれる人が、周囲にいないという現実。このような状況を理解出来ている医師がいないのが、現代の医療界。 内面が成長していない医師が、果して患者を診る事ができるのだろうか!?成長できず育ったままの診察で医療が行われている・・・。
200%タイプで育った人は、親の勝手な都合だけで全否定されて育っているので、疑問に思っている部分を解決させることが第一なのである。 カウンセリングや心理学業界では、“答えを出してはいけない!”と言われており、“患者の話を聞いてあげるだけ”の上から目線、しかも一方通行な誤った法則がある。

ホームレスの人が、いきなり今日からホームレスになる訳ではないように、日々の積み重ねによりホームレスになっていると思う。 これは“慣れ”による結果だと言いたい。
200%タイプの人も、極度な我慢を積み重ねた結果“怒りの感情”が蓋をされ、50%タイプの人は、我慢しないことを積み重ねた結果“怒りの感情”が四六時中出てしまう。
―――三島先生が言われた“止観”ということを、200%タイプの人に当てはめた場合、幼少期から止観し続けていたので、怒りを抑え自分を見つめる事だけを強いられてきた。 これは、大好きな親からいじめられないようにするには、どうしたらよいのかを常に考え行動していた為による。 200%タイプになってしまった原因は誰にあって、どこが悪かったのかを求め突き詰めることをして、自分が悪いのではなく親に原因があったことを明確な答えとして導きださなければ、このタイプの人が抱える“自分自身の疑問符”を取り除くことはできない。―――「あなたは決して悪くない!」という、その答えが最も重要なのである。

* 現在、精神科系患者の診療診察段階において、200%タイプの人の埋めるべき空白部分(インナーチャイルド)のことを、50%タイプの人の空白部分と履き違えて対応して、誤ったやり方が主流となっているので、これは早急に改善されなければならないことである。これらは、“虐待根絶マニュアル”に掲載してあるので是非ご覧いただき、自分自身のマニュアルと思ってみると思考行動パターンが解ると思う。 個人的に御相談あれば直接連絡頂いても構わないし、メールでも結構です。

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三島修一医師より
「岡田さんのこの発想は、よく解ると思う。 50%タイプの“うつ状態”の人と、200%タイプの人の“うつ状態”とでは、まったく違う。 昔あった超真面目といわれる人のような“うつ”というのは、現代では非常に少ない。これは抗うつ剤が効くような“うつの症状”の人が少ないということ。 まだ学会で未認定ではあるが“否定型うつ病”といわれるような変な表現で言われている。 単に我儘というくらいの“うつ病(50%タイプ)”が横行し出し・・・かなり多く存在する。

(了)

2月 27 2013 | ご報告 and 活動報告 | No Comments »

ニカ・ワヤン孤児院を訪問しました

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ニカ・ワヤン孤児院(ダルマジャティ II)はインドネシアのデンパサール市にある孤児院です。

1985年にニカ・ワヤンさんによって設立されました。

当初は30人ほどの里子を預かって始まったそうですが、現在は常時200人ほどの子どもがこちらの施設におり、これまでに2000人以上の子どもたちがこの孤児院から巣立っているそうです。

インドネシアでは貧困のために学校にいけない子どもたちがたくさんおります。

実際に交差点等で小銭をせびる子ども達やそれを強要する親の姿を何度も目にしました。

この孤児院では、両親との死別、暴力や虐待、養育放棄等で行き場所の無くなった子どもたちへの養育や教育の支援活動を続けているそうです。

今回サークル・ダルメシアンは、いつもの海外支援の一つとして、こちらのニカ・ワヤン孤児院を訪問させて頂きました。

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子どもたちはみんな屈託のない笑顔で私たちを迎えてくれました。

私たちが日本から来たことがわかると、知っている日本語で話しかけてくれたり、現地で放送されている日本のアニメの話をしてくれたり、自分たちの知る限りの日本の文化で、私たちをもてなしてくれました。

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最後には、子どもたちはみんなで、日本語の歌を一緒に歌ってくれました。

つらい体験があるにも関わらず、子どもたちは元気いっぱいです。

しかし、面倒をみている先生方のご苦労も大変なものだと思います。

日本の養護施設と変わらず、十分な支援を受けられず、いろいろな事情に四苦八苦している様子が伺えました。

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少額ながらCD「FAMILY」や「虐待根絶マニュアル」他の売り上げの一部を、少しでも役立てて頂きたいと思い、寄付させて頂きました。

サークルダルメシアンは、今後とも海外の孤児院、養護施設等、子どもたちの支援活動を継続してまいります。

ニカ・ワヤン孤児院に関してご興味がある方は下記のホームページ(英文)をご参照ください。。

http://ayurvedaelements.com/bali-orphanage.php

2月 03 2013 | 活動報告 | No Comments »

【第19回いじめ・虐待防止フォーラムの報告】

2012年(平成24)4月26日(木) 新宿区大久保地域センターで「第19回いじめ・虐待防止フォーラム」が開催された。
今回は「サークルダルメシアン16年の歩み」と称して、主宰である岡田ユキを囲みながら座談会形式で始まった。

岡田ユキ

岡田―――「私が16年前に始めた[いじめ虐待]に対する取り組みは、生まれ育った家庭環境で体験した親兄弟による[いじめ虐待]が根底にある。 結婚して出産やがて離婚の道を選び上京、シングルマザーとして経済面や子育てにおいても苦悩の日々が続き、生きることへの葛藤を繰り返す中、新宿区内在住の教師、区議会議員、大学教授らの運営で行われていた「子どもサポートフォーラム」でミュージカル制作を中心となって立ち上げた分科会をきっかけに、自らの体験を公表し多くの支持を得た」

―――「虐待を受けて育った人の大部分は、一般の人(ここでいう虐待を受けていない人)との人間関係をうまくとれない現実があるため、その両者の橋渡しが出来る人にここのフォーラムへ来て貰い、話しを聞いて頂きたい思いがある」

虐待を受けて育った岡田が、一般の人と虐待を受けて育った人との違いを、AC(アダルトチルドレン)判別法として類型化した。
―――岡田「まず、虐待を受ける子どもというのは、親の気持ちが解り過ぎる人。 親から言葉の暴力や身体に外的損傷(体罰)を受けても、親の立場を考えて他人にはその事を隠し、周囲に気を使い過ぎるくらいに気を回す。親からすると、居心地のよい子どもである」 ここでいうACとは、子どもなのに大人の内面をもち、親の行動や言動に対してまで責任を取ろうとする人のことをいい、自己達成度合いを200%に置く。

―――「この種の人間は、自分が他人よりも劣っている意識が非常に強い為、何をしても満足度が低くおまけに他人に甘えることが苦手な傾向がある。 家庭内において、肉親から自己を否定させる言動を浴びせられ日常を過ごしているため、人から褒められることに慣れておらず、社会に出て自分を肯定(認める)されたことに対して、どう対応してよいか戸惑ってしまう。 常に答えを探しているような状態で自分を解っていないが、子どもの頃から気遣い気配りに長けているから、一旦仕事に関わるようになると、一般の人がこなす仕事量以上をさばき切れる仕事が出来る。 この頃当人の状態は、目に見えない何かに突き動かされるように仕事に集中し、本人も気づかないうちに周囲の反感を買うようになる。 無我夢中で仕事に没頭している時は良いが、周囲との摩擦や人間関係がこじれたりしてくると、次第に頑張り過ぎが原因で孤独感や心のポッカリ感が生れ、やがて自分を追い込むようになり鬱(うつ)状態になってしまう」

三島修一医師

―――パネリスト三島修一医師 「今の精神医療は、薬物療法にだけ頼っているから治らない」
―――岡田「メディアも[鬱(うつ)]がまるで流行のような過剰報道も、人に良くない影響を与えている」

―――虐待を受けて育ち200%の自己達成度合いの人に対する周囲の対応の仕方を、岡田が助言する「200%で生きてきた人に、もう少しゆっくり休んだらと云われる事ほどきつい言葉はない。当事者は少しでも暇な時間があったりすると、孤独感に押し潰されるくらいに辛い気持になるので、やり過ぎて懸命に頑張っている人に対しては、寄り添うような気持ちで声をかけ接して欲しい」

一方、達成度合いが50%に定義して育った人の場合は満足だらけの人生で、親からは充分過ぎるほど理解されて育ち、自信過剰の日常を送ってきている。 親は子どもに物質的にも過剰に物を与え、更には友達までも親本位で子どもに押しつけているため、自分で友達の作り方が解らないまま育っている。 子ども自身が自らの力で成し遂げようとする前に親が手を差し伸べてしまうので、子どもは不満だけが残ってしまい、200%の人同様に達成感がない。
―――「達成度合い200%の親にして達成度合い50%の子どもが育ち、達成度合い50%の親にして達成度合い200%の子どもができてしまう」

―――「最近中学生に『自分たちの年代から赤ん坊に触れる教育を受けているが、どう思うか』という質問を受けた。 これは現代社会において核家族化が進み、赤ちゃんに接する機会がなく、命の尊さを体験させる主旨で行われているとは思うが、果してそれが母性を育てる心を植え付けられるか疑問だ。 社会における[いじめ虐待]から事件に発展していった不幸な出来事の根本には、母性の欠落が大きな原因である。 単に赤ちゃんと接する機会を作っただけでは、ペットとしての感覚でしか感じられないのではないかと思う」

岡田ユキ

―――会場参加者からの質問『母性はどうしたら育つのでしょうか!?』
「家庭内において夫婦関係がうまくいってないと、子どもにその影響がでる。 得てして女性の場合は男性に対し、何かして欲しい要求が先走りがち、好き嫌いの感情以上に、愛を育む気持ちが大切。 自分が考える理想とする男性像に育てるイメージをもち、関係を作り上げてほしい」
―――パネリスト三島修一医師より
「医療現場でも同じだが、医師と患者の立場である前に同じ人間であること。 家庭内も同様で、親である前に子どもである前に、人であることを忘れてはならない」

5月 16 2012 | 活動報告 | No Comments »

至誠学園バザーのご報告

子どもたちと

2011年12月4日に至誠学園で学園を卒園する子どもたちの、
自立のための資金にご協力いただくためのバザーが開催されました。
当日は前日の雨にも関わらず素晴らしい快晴で絶好のバザー日和となり、
多くのご来場者に来ていただくことが出来ました。
 
子どもたちと
 
サークル・ダルメシアンは歌や演奏のパフォーマンスと、
ブースでの物品販売でご協力させて頂きました。
 
また、岡田ユキがレギュラーで出演している、
新宿歌舞伎町のホストクラブ「愛本店」からも
蘭(らん)さんと夜科零(よしなれい)さんに応援で参加して頂き、
ダンスのパフォーマンスで盛り上げていただきました。
 
バザーを盛り上げた皆さんと
 
子ども達はAKB48やKARAの歌や踊りに大はしゃぎで
大変楽しい時間を過ごさせて頂きました。
当日の売り上げはすべて至誠学園に寄付させて頂きました。
皆様、ありがとうございました。

12月 19 2011 | 活動報告 | No Comments »

【第17回いじめ・虐待防止フォーラムの報告】

2011年平成23年10月27日(水)新宿区大久保地域センターで、「第17回いじめ・虐待防止フォーラム」が開催された。 挨拶に立ったフォーラムを開催する市民活動団体サークル・ダルメシアン主宰である岡田ユキから「これまで長きに渡りこのフォーラムを続けられたのは、多くの方々の御尽力や見えない力により支えられてきた。 地道な活動は、感謝の念をさらに積み上げ糧とし、今後もこの活動を続けていきたい」と抱負も語られた。

宮嶋恵

第1部は体験談として宮嶋恵氏による「障害と共に生きる」の講演が行われた。
宮嶋恵氏は、二つの障害(二分脊椎症と水頭症)を背負いこの世に生を受けた。 

*二分脊椎症(にぶんせきついしょう)とは、先天的に脊椎骨が形成不全となって起きる神経管閉鎖障害の一つ。母体内で胎児が脊椎骨を形成する時に何らかの理由で形成不全を起こし、症状の軽いものは気付くことなく終わるが、時に本来脊椎管の中にあるべき脊髄が脊椎の外に出て、癒着や損傷をしていることがある。 このように二分脊椎症には症状の重い開放性の二分脊椎症と、症状の軽い二分脊椎症があり、通常は開放性の二分脊椎症のことを指す場合が多く、脊髄髄膜瘤ともいう。下肢の麻痺や変形、膀胱・直腸障害による排泄障害などが症状としてみられ、二分脊椎症の半数以上が「水頭症(すいとうしょう)を合併する。「水頭症」とは脳脊髄液の産生・循環・吸収などのいずれかの異常により、髄液が頭蓋腔内に貯まり脳室が正常より大きくなる病気である。脳脊髄液による脳の圧迫が、脳機能に影響を与え主に乳幼児に多くみられる。*(フリー百科事典ウィキペディアより抜粋)

『私は二つの障害を抱えて生れたが、見た目で判るのは足の不自由さで、歩行が困難なだけと受け止められるくらいだと思うが、腎臓機能にも障害があり、尿を排泄出来ずに逆流してしまうといった症状もある。 水頭症を患ったことで脳の髄液が脳内に貯まる症状を発症し、その除去手術を6回受けた中で、医療ミスにより脳内を傷つけられてしまった。 子どもの頃、小学校へ上がる前の私を見た或る方から「この子は健常者の通う普通校で生活した方が伸びる」と提案があったお陰で、障害はあっても特殊学校への進学はなく進んだ。 脳内手術を受けたお陰か、国語力については能力が高く、数学とかは逆に一切判らなかった記憶がある。障害をもっていることで親は「危険なことはするな」とか、学校側からは「何かあった時、責任とれないので充分注意した行動をとるように」とか、共に口うるさく言われた覚えがある。 冬のスキー教室へも参加したし、登山にも挑戦した。 山登りでは上りは自力で昇り、下山の際は背負って貰い帰ってきたこともあった。 悔しい思い出だが、学校の運動会でクラスリレーが行われた時、足が不自由だったにもかかわらず、リレーのアンカーに選ばれ走らされたことがあった。 このような悔しい思いや、思い通りにいかなくなった時とか、自由が利かなくなった場合は、別の方面の勉強に情熱を注ぐとか、他のやり方で反抗していた。 教員になりたい夢があり、中高一貫校へ進学し国語の教員免許取得も目指した。 高校の教育実習では進学クラスの授業を受け持ち、その時感じた事は、進学クラスの生徒だからだったのか判らないが、こちら側から投げかける問い掛けに対して、何も話そうとしない生徒たちの反応に驚きを覚えたことがあった。  

大学へ進学してからは手話も始め、観劇鑑賞や実際に劇を演じることもしてきた。今では心理カウンセラーの資格も取得した。旅行も好きで、海外ではアメリカ・フランス・ドイツと足を運んでいる。 斜視であるために図形を読み取りずらかったり、下半身の麻痺や癲癇(てんかん)といった症状に悩まされてきたが、 私は決して自分自身が自分の行動に扉を閉ざすようなことはしてこなかった。 自分の境遇を素直に受け入れ、周囲の環境のせいにしない生き方こそが、社会の中へ積極的に出て行こうとする意欲を芽生えさせてくれたのだと思う』

上記の宮嶋恵氏の体験談を終えて、参加者との質疑応答へ入る。(以下敬称略)
三島 「宮嶋さんのお話の中で、子どもの頃から目には見えないものが見えたりしていたと御聞きしましたが、具体的にはどういった事象があったのでしょうか」
宮嶋 「例えば人と話している時、口元は笑っていても、目元が笑っていないとか・・・」
岡田 「その件ですが、宮嶋さんと知り合って、暫くしてからこんな事がよくあったんですね。私が実家の京都から東京へ帰ってきて、彼女と会う度にユキさんまた沢山の人を連れて帰って来られましたね…、と云われるんです。 どういうことか尋ねると、私の背後に人の顔が映って見えるらしいんですね。 最初は私も半信半疑で聞いていましたが、ある時、私の父親と会ってもいないのに、病状の様子を的確に言い当てた時は正直驚きました」
田辺 「宮嶋さんて、前向きですね。お話の中には一切いじめのことは出ませんでしたが、子どもの頃のいじめとかはなかったのですか」
宮嶋 「(あっけらかんと)ありましたよ!」
岡田 「彼女との出会いは、このフォーラムに来てくれたのがきっかけでした。 その頃彼女が語ってくれたのは、小学校でのいじめは確かにあったそうです。  その一番の問題はトイレでの排泄。人前でも我慢出来ず漏らす事があり、そのことに対して周囲の人は理解を示そうとせず、護ってくれる教師もいなかったそうです。  
宮嶋 「私の体は不自由でしたが、妹が生まれるまでは家庭の中はいたって普通でした。 妹が成長するに従って年下の妹に出来ることが、姉の私に出来ないことが目立つようになって、徐々に家庭内で孤立するようになり・・・ 両親の愛情が妹に向けられていった結果、母親が私を施設へ入れたがるようになりました」
田辺 「その強い精神力は、幼少の頃からあったのですか」
宮嶋 「負けず嫌いではありましたね。 不自由な私の体の動きを真似されたりすると、私は拳骨で殴られているような思いでした。でも私は自分の拳骨で相手を殴り返すことは嫌でしたので、軽く笑い飛ばしながらさっさっと先に進んでいきました」
田辺 「死にたいと思ったことは、ありますか」
宮嶋 「ありますよ!」
田辺 「何回くらいですか」
宮嶋 「けっこうあります!(笑いながら)病気になるくらい」
岡田 「彼女に対するいじめは、家庭・学校・職場でもあったのですよ」
宮嶋 「そうですね、職場は女性が多い部署でいわゆる大奥。そこにはお局様的な方がいて、周囲はその人の意見に迎合。 或る時、私は理不尽なことをされ、怒り爆発し怒鳴り散らしてからは、職場で敬遠されるようになりました」
岡田 「この頃ですね、宮嶋さんと出会ったのは。彼女が心療内科に通院されている頃でした。彼女の良さを理解してサポートしてくれる人が傍らに一人でもいてくれたなら、また違った面も引き出せるのだと思います。 彼女の良い面である強さは、過去に受けたいじめに対してきちんと向き合ってきたものが、糧となり培われたものですね」
宮嶋 「(上を向いて明るく)後ろは向かないですね! 面倒くさいし…、後ろを向いてもいいことない(キッパリと)」
            

【近況報告】

三島修一

国立国際医療センター国府台病院・内科医長・三島修一医師
「近況報告させて頂く前に、最近のマスコミ報道について云いたい事があります。 フジテレビ朝8時の番組で、小倉智明さんの出演されている「とくダネ!」をよく拝見しているのですが、その報道の中先日足立区で起こった民家の火事の件です。 当初は火事が起こった事実報道だけでしたが、時間が経過して事の真相が判り出すと、そこの住人である奥さんが放火をして、家族三人が亡くなった事が判明したとのことでした。 放火をした行為は許されることではありませんが、それまでに至った彼女の苦悩や痛みがその行動へ追いつめたはずです。 今、世の中に求められているのは、人の粗(あら)を探し出し問い詰めて、見せびらかすことではないと思います。 事件や事故の報道は、視聴者・大衆に向けて第一報を伝達する役割はあっても、その後の報道については、より深い見地と問題解決に向けて、我々は何をして何はすべきではないのかを、考えさせるべきものだと考えます。
―――私が受持つ患者の一人に「一型糖尿病」を背負った女性がいます。彼女は幼少期性的虐待を受け、結婚し子どもを産み育てましたが、我が子を叱責する時必要以上に叩くようになり、児童相談所が相談を受けることになりました。その時児童相談所の担当者が彼女に是正を求めたところ、その様子はいかにも上から目線で強過ぎるもので、強制力のある正義感の押しつけにしか見えませんでした。子どもに対する虐待は良くないことですが、それまでに至る母親として苦しんだ葛藤や、心の闇を解きほぐす目線の低さと、包み込む優しさで接する度量が必要だと痛感しています。そうすると必ず自分から「・・・じつはですね」と心を開いてくれる私の医療現場での体験談です。
―――20数年前から学ばせて頂いている「高橋佳子氏」の魂の発見では、人間再生を提唱されています。 そこで学ばせて頂いていることは、患者を変えようという意識ではなく、患者を自分に受け入れて一緒に進んで行こうとする目線意識です。患者の中にも感情の起伏が時として激しく、高揚したり激高されたりする方もおられます。 一般に荒れる人というのは、非常に責任感の強い傾向がみられます。 私はある患者から掛ってくる電話にためらいがあり、その電話を受ける時ほんの一瞬だけ間を作っていました。 そのわずかな間、ためらいは相手にも伝わっていたんですね。
「一型糖尿病」という非常に難しい病気でしたが、その患者は元気に快復されて、今では人を癒す側の立場に変わり、看護学生として医療現場で活躍されています。

【近況報告】

中村俊哉

中村俊哉 (ウエブ関連の会社に勤務する傍ら、劇団の主宰。現在は実家の会社へ勤務)
                
「これまで東京で劇団のプロデュースをしてきましたが、静岡の実家(会社)へ東京から通っています。これまでのような活動に充分な時間はとられなくなりましたが、応援してくれる劇団員や役者仲間とともに、今年の4月表参道ヒルズの近くに「テラクリエーション」という新しいプロジェクトを立ち上げることが出来ました。 ここはいろんなジャンルのアーティストが集う場所で、役者・ミュージシャン・写真家・美術家等々、アーティスト同士やファン仲間の交流の場でもあります。ここでの売り上げは、東日本大震災の被災地へ贈る義援金の活動をしています。また、十年来の役者仲間である友人と一緒に、来年4月を目標にした舞台劇を行うために、「アース」というプロジェクトも立ち上げました。 現在、役者・スタッフを集めながら活動しておりますので、どうぞお楽しみにしていて下さい」

岡田ユキ

                  
【岡田ユキのいじめと虐待・躾と虐待について】
「いじめと虐待・躾と虐待、この二つの境目についてお話させて頂きます。 まず虐待とは言葉の暴力・肉体的暴力・性的虐待・ネグレクト(育児放棄)の4つに大別されます。  躾の分野で判断したら言葉の暴力と肉体的暴力の強弱が、虐待との境目だと思われます。―――私には26歳になる一人息子がいます。 約二十年前に母子家庭となり京都から東京へ出てきました。 その時息子は小学校2年生で、私たちは経済的にも非常に苦しく悲惨な状態でした。 お互いが環境の変わった中、当然息子にも厳しく接し、口うるさく手を上げたこともありました。 現在息子は当時を振り返り、あんな状況の中よく育ててくれて感謝していると語ってくれます。どうして私の息子が感謝出来て、私が育てられてきた両親に対しては、虐待され続けたと今でも思っているのか、この差は何なのでしょう。―――私が息子に対してとった行動は、厳しい言葉で叱責した意味とどうして手を上げて叩いたりしたのかを、その都度具体的説明をしながら話し続けて育ててきました。―――もう一つは、私自身の病的と思われる部分を正直に息子に伝えました。 それは、息子が何気に手を出して私を叩いたりした時、反射的に怒りが爆発しそれ以上の仕返し、手を上げてしまう自分がいることでした。 そうすると息子も母親の感情的部分を理解し、判らないながらも学習してくれました。―――この部分を息子にも説明し納得させることが出来たことが躾に変に変わり、お互いが理解し合え愛情を育んでくれたのだと思います。
一方、私の京都の両親についてですが・・・、子どもの頃の私は誰とでも仲良く出来 多くの友人知人を作り、家にも連れてきていたそうです。 両親と兄二人は、友人関係を作り上げるのは消極的というより、友人がいませんでしたので我が娘、妹の存在が煩(わずら)わしく疎(うと)ましいものだったようです。 母親は引きこもり的な性格で二人の兄も母親と似たような性格でした。 学力は優秀な二人の兄でしたが、勉強の出来ない人を馬鹿にするような態度をとる人でしたから、友人関係は勿論、親戚のいとこ関係でも同じでした。 そんな家族の中私は家庭内で孤立し、親兄からお前は悪い人間だ!と日常的に罵(ののし)られ育ちました。そうなると自分自身も、私は悪い人間なのだと思うのは当然です。  図らずも犯罪に手を染めるようなことがなかったのが、今更ながらよかったと感じています。私が不幸になることが、彼らの優越感に浸れるといった、歪んだ図式の家庭環境だったと思います。 一方的な感情の押しつけがエスカレートしていくと虐待を招き、具体的説明を納得出来るまで説明し続けると、躾になると思います。 ―――いじめは横の関係(友人や同僚)で虐待は上下関係(親子や上司と部下)で成り立っています。 いじめだとどちらか一方がいなくなるか、環境を変えることで或る程度解決されますが、虐待での親子関係は一生かかわりますし、上司と部下の関係も同様に切りずらい上下関係です。 さらにこれが夫婦関係の場合、普段暴力的な夫に妻が別れ話をもちかけた途端、泣き崩れた行動をとりがちになります。弱みをみせた夫に対する妻は、私が守って上げなくてはいけないという、共依存的関係を作ってしまいます。 そう思う前に、泣いてすがるのはこの夫の手段なのだと理解出来れば、この夫から離れられます。
―――こういったいじめ虐待に対するカウンセラーを養成する講座を、東京都立川市にある至誠学園で来年4月からも開講致しますので、勉強されたい方はご連絡を下さ
い。お待ちしております。

田辺照代

【田辺照代・東久邇宮音楽療法研究所】
「私は、小さな子どもの頃は、まったく喋らない児でした。 学校でも自分の意思を表現出来ず話すことすらしない。勿論いじめられていましたが、家に帰っても母親に学校でいじめられていたことを話さず、独り閉じこもっているような状態でした。自分は話したかったのですが、なぜだか言葉が出なかったのです。 学校時代、青春時代、社会に出てからも本当に辛い思いをしてきたと思います。 そんな私が自ら考案した{自声拡大器フォンチューブ}と名付けたこのチューブを使い、歌を唄うことを実演させて頂きます。 腹式呼吸でお腹から声をだす要領で唄ってみましょう。腹式呼吸で唄うと自律神経のバランスもとれて、元気もでてきます」
―――会場の参加者全員で♪「今日の日はさようなら」と♪「荒城の月」を唄い、第17回いじめ・虐待防止フォーラムは終了した。

11月 14 2011 | 活動報告 | No Comments »

【第13回いじめ・虐待防止フォーラムの報告】

第13回いじめ・虐待防止フォーラム

秋寂びの空に 季節外れの台風が近づいた平成22年10月28日(木) 新宿区若松地域センターの第2集会室で 「第13回いじめ・虐待防止フォーラム」は開催された。 地域の中から誕生し地道に続けられてきた「児童虐待防止の市民活動団体 サークル・ダルメシアン」の活動は 確かな歩みを刻み全国的な「いじめ・虐待防止」の展開にまで波及している。 会の主宰である岡田ユキの『全てがプラスとなるように 今後も続けていきたい』との挨拶からフォーラムは始まった。

第13回いじめ・虐待防止フォーラム

1部の特別講演「東洋の英知を通じて學ぶ人間関係」Part6は 特別講師徳山暉純氏による《家庭環境とライフスタイルについて》が語られた。
『日本の国の礎として連綿と受け継がれてきた、人として本当の豊かな精神(こころ)は、 第二次世界大戦の敗戦にともない、残念ながら失われてしまった。国の礎だった東洋の英知インド哲学が、中国思想を経由し日本独自の「道の教え」として伝わって来た史実。天道と呼ばれる道の教え「道徳」は、これを人が体得したら「人道」と呼ばれ、頭の良さだけで得られるものではなく、心が良くなければ「人道」として導かれることは、過去であっても出来なかった。 

戦前の日本、国の根幹を支えてきたものは『道徳と礼節』であり、特に『女性としての三徳』は女から妻、妻から母へと変わる三種類の愛のグレード変化が、戦後失われていった。 敗戦から立ち直り高度経済成長を遂げる中、それまで家庭の中を守ってきた女性たちが社会進出する機会が増え、損得ノルマ(成果主義)を最優先する企業理念の下、仕事に携わりビジネスモードで加わってきた。社会進出してきた女性たちに対して企業側は、成果主義優先の仕事様式教育で洗脳し、家庭へ戻っても損得ノルマ主義を切り替えないまま他人と比較し、『我が家の所得が低いとか、学業の成績が劣っている』と、夫や子どもに不平不満の鉾先を向けてしまうことになっている。
 自然の中で花を咲かせる花々、例えば向日葵は自分の開花時期を生まれながら知っている。桜も梅も紫陽花も…  ナンバーワンを目指す思想がなかった江戸時代の庶民は、現代よりも貧しかったにもかかわらず、オンリーワンを目指す東洋的思想で、皆が幸せ感を抱いていた。今、米国内で社会問題にまでなっている離婚率75%の現実は、現代日本が米国型成果主義を目指す限り、日本の離婚率43%が米国並みにまで達するのは時間の問題である。
 家計の費用を切り詰めて無駄遣いをしない「倹約の美徳」が廃れる一方、日本国民の家計(土地・家屋・預貯金・保険金・年金)総所得は二千兆円にもなり世界一である。これ程高額な所得が国にあっても国民一人一人に幸せ感が薄いのは、お金の使い方に難があることに早く気付かなければいけない。 西洋文明を取り入れ追随し、大量生産大量消費の結果、自然を破壊している現況は「人の氣・人の心」が病み汚れ破壊を招いていることに他ならない。かつて国の根っこを支えていた「倹約美徳の精神」は、他人の真似をするのではなく自分らしい生き方を見つけ出し生活することが、心豊かな人生を送れる最大要因である。今まさに「女性の三徳」「倹約の美徳」を見直し、豊かな心によい人格形成と心の教育再構築へ方向転換させる時にきている。「子は親の鏡・親をみれば子がわかる」の故事の如く、子どもに伝えて遺すよい遺伝子とは、独身の時から人間としての高い精神性が育ってこそ成し得るものである。
 
より身近な問題の中に「過度な農薬使用」がある。現代日本国内で人の口に入る食物に使用されている農薬量は、カナダと比較して約20倍、防腐剤では年間一人当たり1.5㎏の使用と、ファーストフード食関連に至っては、約4㎏が人の口に入っていると云われている。 家庭で過ごす子どもの日常化しているTVゲームでは、小さいうちから気にくわない敵がいたら攻撃して倒すといった、闘争本能を繰り返えし植え付ける仮想遊びが横行氾濫している。マスメディアにおいても、知らないでいい情報までも日夜垂れ流し、言論の自由を履き違え「言論の暴力化」していることに気付きもしないでいる。これら身近な問題に対し轟く程に警鐘を鳴らしても、現状では鳴らし足りない』と憂い切実に訴えた。

第13回いじめ・虐待防止フォーラム

今回出席者の中に「ユニバーサル トワイスボーン講座」の受講者も出席し、NPO法人日本綜合医学会理事の水越圭子氏から、率直な感想・生の声を述べて欲しいと投げかけられ、受講生から『食の大切さ、その根本を実践から学ぶことが出来、あらためて心で生きる大切さを感じた。~3人の子どもがいる日常生活にもプラスになる面が多々あり、知らなかった現実を学べたことに感謝している。~いじめ虐待について関心があり参加したが、「食」「氣」についても学ぶことが出来て想像以上の広がりがあった』との感想も得られた。水越圭子氏からは「何も特別なことを教えているのではなく、日々の日常生活の中にこそある、五感の学びを通して心が豊かになるようにと導くもので、人格再生の一助になれば幸いだ」と締め括った。

第13回いじめ・虐待防止フォーラム

今回急遽駆け付けたクリスチャン牧師の富田功氏からは、軽度発達障害(LD)を持つ長男の話しが語られた。「医師の診断はLDと断定されたが、父親として息子をみる目線はあくまでも《彼の個性》だと認識し対応してきた。人がもつ幸せの意味を問えば、《幸せの解釈の仕方》だと思う。人の決めた常識は非常識という思考を自分なりにもち、過去に起こった出来事も良い経験だったと解釈する努力は必要だと思う。日本における学歴一辺倒主義についても、その人のもつ学習意欲を引き出してあげる学習歴を身につけさせることも大切」との意見も上げられた。

第13回いじめ・虐待防止フォーラム

主宰である岡田ユキからは、独自で編み出した「AC判別法」の説明も発表された。
まず《躾と虐待》を正しく区別することに注意を払ってほしい。 これまでカウンセリングしてきたケースで、親が子どもに手を上げる行為について、親側からすると子どもに手を上げてしまった…と思い込みがち。子どもの側からすると親から暴力を振るわれた現実に対して、なぜ手を上げたのか具体的説明もないまま成長しているケースが多かった。
一番難しい問題は、親から繰り返し言われた《言葉の暴力》が心に深く刻まれた見えない疵(きず)として残っていること。この傷つけられた《言葉としての洗脳》コトバの呪縛を紐解くことからカウンセリングは始まる。 虐待を受ける側の人間に共通している性質が見受けられる点は、①やさしすぎる人 ②親のことが大好きで無口な人 ③いわゆる天然ボケ(器が大きくすべてを受け入れてしまうタイプ)で、これらの傾向がある人は親から虐待を受けても、その行為自体を理解しようとし子どもながらに、虐待する親を幸せにさせようと頑張る傾向にある。
「いじめ虐待」に関する関心が日増しに増える中、平成19~20年の調査で相談件数が42662件の事例が上げられた。中でも相談件数が東京大阪の大都市圏に集中しているのは、関心の高さでもあると思われる。 この一年で急増している地域が埼玉県で300件を超えた。いじめ虐待の体験者からすると、過去にさかのぼり具体的事例が公になっておらず、昨今のマスコミ報道で過度な情報表現が、「いじめ虐待の本質解決策」に混乱を招いている要因は大きい。 と問題提起も投げかけた。

第13回いじめ・虐待防止フォーラム

会の終盤、東久邇宮音楽療法研究会の田辺照代氏は、幼少期人前で話すことが苦手で、周囲から虐待を受けた過去の自分が、歌を唄うことで克服してきた経緯を話された。ビニールの細い管を使い、深く息を吸い込みゆっくり小さな声で唄い出し、会場の出席者全員と共に「ふるさと」の歌が静かに響いた。 傍らの同会所属田中桂子氏からも「唄うことで自分に自信を取り戻せる素晴らしさを実践で体感して欲しい。決して諦めないで続けることを願う」とエールが送られた。(了)

以下、フォーラムでいただいたアンケートの集計結果です。

第13回いじめ・虐待防止フォーラム アンケート

11月 13 2010 | 活動報告 | No Comments »

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