【第14回いじめ・虐待防止フォーラムの報告】

第14回いじめ・虐待防止フォーラム

初(はつ)御空(みそら)に淑(しゅく)気(き)が漂った年も明け、平成23年1月27日(木)新宿区若松地域センター第2集会室で「第14回いじめ虐待防止フォーラム」が開催された。冒頭、事務局長の垣内(かいと)から『いじめ虐待の問題は、閉鎖された情報下ではその解決策の糸口にはならず、フォーラムに参加して頂く皆様において、これまでの人生で体験されてこられた貴重な内容を、この場で積極的にお話し頂いたことを記録として残し、その情報を公開することにより、第三者も閲覧できるような仕組みをとっています。』と、このフォーラムが当初(とうしょ)立ち上がった人としての大切な心根(こころね)が語られた。続いてサークルダルメシアン代表の岡田ユキから挨拶も兼ねて、本日特別講演する講義の「学習障害」について一般的症状の概略説明があった。《学習障害は、人間の初期の成長発達過程において、発達が何らかの原因によって阻害(そがい)され、認知・言語・社会性・運動などの機能取得が障害された状態をいい、脳の機能的問題から起こるもので、知的障害・自閉症・アスペルガー症候群・ADHD・LDなどがある。 その障害が軽度で、一見普通の子どもらと変わらない子たちを、軽度の発達障害と呼ぶ。「発達障害」は大別して3つに分けられ① 軽度の自閉症傾向の「アスペルガー症候群」。これは、物事を突き詰めて研究するといった分野は得意だが、一般的な人間関係の構築には多少難が見受けられる。② 注意欠陥・多動性障害「ADHD」。これは、授業中落ち着いて椅子に座っていられず、集中出来ずに歩き回ったりする児童。③:学習障害「LD」。例えば、文章を読んで理解するよりも、耳で聞いたほうが理解出来たり、文字の区別がつかなかったりすること。》『私はカウンセリングしてきた中で、発達障害という目には見えない障害による認知度の低さが、「いじめ」を引き起こしているのではないかと「いじめ虐待問題」を訴えてきた過程で感じていた。今回、特別講演して頂く実体験内容は、軽度発達障害の社会的生活・学校生活における認知度の低い現実からおこる弊害(へいがい)と、問題解決の処方を感じて欲しい』と語った。

富田功氏

第1部の特別ゲスト「体験談~LD(学習障害)のこどもと親の立場から」と称して、富田功氏の特別講演が行われた。【学習障害とは、目には見えない透明人間のようなものです・・・】『我が家の長男(現在高校在学)は、幼少期にLD(軽度発達性障害)と診断された。 断定出来る原因ではないが、彼の誕生において母親のお腹の中にいる時、母子共にいくつかの負荷(ふか)が掛(かか)る出来事があって誕生した経緯があった。幸いにも体重3722gで生まれた長男は、順調に育ち幼稚園に通い出した頃、園での日常に違和感が見受けられると指摘があり、医師の診察を仰いだら、軽度の発達障害だと診断された。 この症状は原因が不明で対処方法はまだ確立されておらず、医師からも「親御さんの対応が必要」との話しかなかったために、あらゆる所に出向き情報収集から始め、「発達障害」の予備知識習得を行った。この頃出会った【埼玉親の会「麦」】の方々との協力で、症状について勉強させて頂いた。LD(学習障害)のうち約3割は、ADHD(注意欠陥多動性障害)と云われる学習面からみた障害のことで、例えば漢字は書けるが読むことが出来ない様なこと。ADHDは行動面からみて診断された症状のことで、その特徴の違いから区別される。 我が息子の場合は、「集中力は続かないが多動(たどう)ではない」という診断が下された。 その後、就学(しゅうがく)するにあたり自治体の教育機関へ相談に行き、学校側からもサポートする形で対応して頂いた。問題解決に際して相談した埼玉市役所福祉課から出ている「学習障害についての資料」では「発達障害は年齢や性別、保護者の躾が原因にあたるものではない」と明記されてある。親として思うことは、他の子と違うというのは明らかだが「学習障害」に対して認知理解に乏(とぼ)しい学校側と教師に、学習障害の児童を受け入れて貰う場合、担任となる人も認知度はそれぞれなのでまず教師に認知理解して貰う為に、学校側にも教育させる必要がある。認知度の低い学習障害の子を一言で躾が悪いと決めつけてしまう事が多いのは事実だ。これを防ぐ為に私たちは、これまで息子を診察してきた医師の診断情報を、敢(あえ)て公開することを決め幼稚園~小学校~中学校~高校へ進級する度、その都度学校・教育委員会へ提示し協力と理解を求め続けた。 このことは、親が隠(かく)す態度を示してしまうと、子を傷つけてしまうと思ったからで、隠された本人からすると「自分は隠す存在なンだ」と卑下(ひげ)した考えになってしまうといけないと、夫婦で考えた結果だった。これにより小学校から中学校へ上がる際も、申し送りとして上申(じょうしん)して頂きスムーズな認知理解のステップを踏み越えられた。息子の場合幼少期の発達障害を、親も一緒に受け入れ対応出来たが、成人近くなり判明した場合の親御さんは、一様に「普通になって!(懇願(こんがん))」と子に対して口に出してしまうが、本人たちにとっては{普通}の意味が判(わか)らず戸惑(とまど)い、対応の仕方が判らないでいる。 学校の勉強で解(わか)らない点があった場合とか、家庭で学習能力を高める様な取り組みを、ルール化して親も一緒に勉強したら良いと思う。 集団生活が伴(ともな)う学校では、どうしても他の子と比較されてしまいがちなので、出来ないことに対して本人の達成感が得られない事が多い。出来ないことの追求よりも「出来たネ!」と褒(ほ)めることが大切だ。本人は一生懸命やっているのだが、{普通}のように結果が出ない子の心をくみ取る努力は親がコントロールして欲しい。集団生活においては、様々な予期せぬ出来事が起こるが、それは皆(みな)一様に愛する家族・子どものことを思えばこそだと、皆さんも戒(いまし)めて欲しい。 日ごろ息子には「生れて来たことが親孝行だ! あなたはあなたのままでいい」と言い聞かせている。医師から出された診断結果も一つの見解として受け取り、事実はひとつだが解釈は無数にあると考えれば、気も楽になり前向きにはなる。 現在「学習障害」に対して公的機関の支援が得られていない理由は、目に見える障害がなく診断書が出ない・障害者手帳がないからである。サポート体制は始まってはいるが、なかなか現状では難しい問題も多々ある。ありのままを受け止めてあげるのが親としての役目だが、頑張り過ぎない方がよい。 出来ないことがあれば、一緒に勉強することでクリアーにしていく方が楽。原因不明なんだから、みなさん協力して!の精神でオープンにすると協力も得られる。【・・・学習障害とは、目には見えない透明人間のようなものです。】

三島修一氏

第2部のパネルディスカッションでは、5人のパネリストの発言があった。千葉県市川市の国立国際医療研究センター国府台病院 内科医長三島修一氏からは『私が嘗(かつ)て受持った境界型人格障害という症状の糖尿病患者がいた。診察していても急に感情が昂(たか)ぶり爆発するといった、所謂(いわゆる)キレやすい人だったが、患者の話しを聴くうち幼少期に虐待を受けていた過去を話され、辛い過去を背負ってきた経緯を読みとる事が出来、それからお互いの心が通い信頼関係が生まれ、診察の処方も改善に向かい今では症状も良好な経過をたどっている。これまで診察した境界型人格障害と診断された患者は、幼少期に虐待を受けた人、もしくは喪失(そうしつ)体験(突然目の前で、肉親を事故で失うといったこと)をされた方などだ。 医療者の立場の前に人として聴くことの大切さ、見えないものを見る大事さを日々患者から教えられている。』新宿区更生保護女性会の会長で、保護司でもある坂本悠紀子氏からは『保護司としての活動をする中で、刑務所での刑期を終え社会復帰する人を支援保護する会がある。その保護会で、昨年暮れ行ったクリスマス会での話…、80歳を過ぎた或(あ)る老人だが、幼少期虐待を受けた上親に捨てられた苦い過去は、未(いま)だに重く圧(の)し掛(か)かっていたと云う。刑期を終え出所した後、親の居所を探し当て足を運んだが「このまま会ってしまうと、親に手をかけてしまう」と考え、寸前で思い留(とど)まり会わずに引き返してきたことがあったという。また70年以上も前は、養護施設所内での体罰は日常茶飯事で、食事を抜かれるといった事は、軽度の処分対象だったそうだ。 結果として罪を犯した受刑者たちの大半は、幼少期の愛情が枯渇(こかつ)したまま成長し社会に放り出されてきた。この人たちの内なる声を聴き入り、今後も更生の一助となるように活動していきたい』と語った。

徳山暉純氏

これまで6回に渡り「東洋の英知を學ぶ人間関係」と称し{氣の學問}を特別講演して頂いた徳山暉純氏『氣の學問とは、健康・経済・自然環境に関わる、古代「法隆學問寺」と呼ばれた奈良の「法隆寺」で聖徳太子が行なっていた日本最古の學問のことである。現代の学校教育は後天的な(知識の詰め込み)もので、本来人間に必要な先天的(自然治癒力の知恵)教えを第二次世界大戦後、途絶(とだ)えさせてしまった。 先天での教えは、自分と他人とを分けることをしない、あるいは人間と自然を分けないといったことで、私が空(そら)・私は海(うみ)・私は自然(しぜん)というように自然界と一体に自己をおいた時、先天の教えの理解が始まる。これを無分別知恵と呼び、ここから本当の意味での愛が生まれ、すべてのものを慈(いつく)しむ心が芽生(めば)える。このような教育は嘗(かつ)て江戸時代の寺子屋でも伝えられ、当時の各家庭で情操教育としても根付いていた。その頃の子どもたちには、頭のよさを教え込むのではなく、心の美しさや心の良さが植え付けられ「人として本当の豊かさ」を感じとられる術(すべ)を身につけていた。今世界から求められているのは、この心の美しさの教育である。 大陸から伝承されたものを日本人が受け継ぎ、新たに創り出した東洋の英知が、氣の教えである。 「氣品・氣高さ」といった人としての品格の根源は「氣」を學ぶことから始まる』と教授された。

瀬沼敏彦氏

瀬沼敏彦氏『これまで私が、社会貢献或(ある)いは社会福祉仕活動をされている方々と接してきた中で、疑問を抱(いだ)いた事柄(ことがら)は、誤った理解のうえに誤った理論を構築して、これらを商売にしているという認識である。 さらには、それらに関(かか)わる専門家の人たち、もしくは評論家も、いくら実際に善意の活動をされていても、残念ながら皆さん「お山の大将」になっていて、結局自分がトップの位置に居なければよしとせず、互いに手を取り合って、同じ方向に進んで行こうとしない状況を目(ま)の当(あ)たりにしてきた。 ・・・が、これらの活動を行(おこな)おうとした時に起こる問題点も浮き彫りになった。 それは活動をする為の最低限の資金が不足し、活動から離れざるを得ない人たちも多いという現実だ。 日本は国として、これらの活動に対し政府援助・支援体制が弱いのも事実である。民間の活力を使って 活動基盤を安定化させていくソーシャルビジネス(環境や貧困問題など様々な社会的課題に向き合い、ビジネスを通じて解決していこうとする活動)のビジネスモデルを確立していきたいと考えた。 そこで私たちは、正しい理解と正しい理論の元、自信のあるカウンセリングも現場で出来る専門家を養成する「ユニバーサル・トワイスボーン」を立ち上げた。 現在東京都内で廃校となった学校を活(い)かし、拠点(きょてん)としても第1回のイベントも行った。 将来専門学校的な組織となるように、今後も活動を広げていきたい』と抱負も述べられた。

岡田ユキ

岡田ユキからは『いじめ虐待の問題を語る時、AC(アダルトチルドレン)を育てた親の存在が、その根本原因に大きく影を落としている現実を、カウンセリングしてきた事例の中で多く見てきた。例えばACと呼ばれる外見は子どもなのに、大人の様に振る舞う子どもの大半は、幼少期に親から虐待を受けてきた過去がある。 虐待を受けて育った子どもには、共通する3つの要素傾向があり、①優しさが過ぎる。②親のことが大好きで無口。③所謂(いわゆる)、天然ボケのタイプ。 子の親として成(な)すべき本来の躾であればよいが、親が大好きな子どもにとっては、躾と称して行き過ぎた虐待行為(暴力)は、厳しい躾だと思って暴力を受け入れてしまい、心に深く見えない疵(きず)を背負ったまま成長する。また言葉の暴力を四六時中(しろくじちゅう)投げかけられて育つと、自分は悪人なんだと自暴自棄な人間になってしまう。 このフォーラムでは「躾と虐待」の区別がつかなくなった親子関係の溝を、少しでも埋められる様な活動を多くの支援者と共に続けていきたい』と語った。

田中桂子氏

東久邇宮音楽療法研究会からは、幼少期に虐待を受けた体験を、唄うことで克服できた「ビニール細管歌唱法」を使い、田中桂子氏指導のもと会場参加者全員で「♪ふるさと」を歌い{氣}の極意である「丹田(たんでん)呼吸法」の効能を実践体験した。(了)

2月 09 2011 04:24 am | ご報告

One Response to “【第14回いじめ・虐待防止フォーラムの報告】”

  1. 須藤真理子 on 03 4月 2011 at 1:41:36 #

    先日は、富田氏の素晴らしい、地域教育を啓発しての奮闘の経緯を
    伺うことができ、大変 勉強になり、ありがとうございました。

    ところで、4月にはフォーラムは予定されていないのでしょうか?

    恐れ入りますが、メールにて ご一報頂ければ ありがたく存じます。
     m(_ _)m

Trackback URI | Comments RSS

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.