1954 LOVE / HATE
前回の記事で触れた、11月2日のAcid Black Cherryのライブ「2009 tour “Q.E.D.”」at 日本武道館は最高でした!
武道館の天井に映し出された「The most beautiful corpse in the world」から始まる様々なメッセージ、そして、殺人事件現場の写真、宗教的な絵画などが次々と現れては、消え、幻想的な照明の下でのライブが展開していきました。
犯人の目線で描かれた「1954 LOVE / HATE」では、天井に映り込んだ膨大な文章の中からキーワードが赤く浮かび上がり、書物全体が血に塗れていくという、凝った演出が。
「SAW」や「L.A.コンフィデンシャル」にインスパイアされ、製作された楽曲もあるという今回のアルバム「Q.E.D.」ですが、映像の雰囲気は「ダヴィンチ・コード」や「天使と悪魔」のようにも見えました。
Acid Black Cherryは、Janne Da Arc yasuのソロプロジェクトなのですが、この二日後、そのyasuが声帯のう胞、声帯炎の治療に専念するため、当面活動を休止することが発表され、結果的にこれが休止前最後のライブとなりました。
今はしっかり治療して、またその美声を聞かせてくれることを祈っています。心より。
さて、『ブラック・マリアの迷宮』ですが、これは「ブラック・ダリア事件」と「リップスティック・キラー事件」という、過去にアメリカで実際に起こった殺人事件にインスパイアされ、物語を書き起こしたのだそうです。
物語は1954年6月30日、ロサンゼルス郊外にあるアパートの一室で、ヴィヴィアン・プロムナイト(当時21歳)の死体が発見されたことにより、始まります。
ヴィヴィアンの死体は、天井に括りつけた複数のピアノ線でマリオネットのように吊るされて、部屋の中央に直立し、布に包まった赤ん坊の人形を腕に抱きかかえていたそうです。その姿は幼子を抱えるマリア像を模しているようでした。
五ヵ月経った12月1日、犯人から大胆な犯行声明が警察とマスコミに届き、『世界で一番美しい殺人現場』としてLAサンシャイン紙が犯人からの写真を紙面のトップに飾り、ヴィヴィアン殺人事件はブラック・マリア事件と命名されました。
その後、ヴィヴィアンの友人ブレンダ・バレンタイン(当時23歳)の告発により、“MR.JUSTICE”の異名を持つLA市警のハンク・ワイルド警部(当時50歳)は、新聞配達員リチャード・ブレイニー(当時21歳)を重要参考人として連行します。
FBIから派遣されたマイク・クアイエット捜査官(当時31歳)は『ブラック・マリアの犯人像とリチャードは一致しない』と訴え、リチャードは釈放されるものの、その四日後、今度はブレンダの惨殺体が彼女の自宅から発見されたのです。
リチャードは無実を訴えるも、やがて獄中で自殺。
さらに、ブラック・マリア事件から16年後の1970年3月7日、LA郊外に住むアレクサンダー夫妻を暴漢が襲う、という事件が起こり、この際に使用されたナイフからヴィヴィアンのDNAが検出されるのです。
文字通り、事件は迷宮入りしました。
ヴィヴィアンは何故殺されなければならなかったのか?
犯人が殺人現場に隠した細工の真意は?
両事件で壁に書かれたメッセージ“For Heaven’s Sake catch me.before I kill more.I cannot control myself. ”は理性・人間性を飲み込まれ、殺人鬼と化していくことに抗う犯人の最後の祈りなのか?
リチャードは犯人か、冤罪か?
アレクサンダー夫妻を襲った金髪の男が真犯人なのか?それとも、別の第三者か?
はたまた、事件があった1954年6月30日、1970年の3月7日にはアメリカ国内で皆既日食が観測されたことから、真犯人は“黒い太陽”の魔力に取り憑かれていた、などというオカルトめいた説まで浮上したが…?
肝要なのは、リチャードが「私は無実です」と訴え続けたにも関わらず、捜査が「Q.E.D.」(証明終了)とされてしまったことです。
詳しくは下記サイトを参照。↓
興味を持たれた方は、ブックレットと併せて、アルバム「Q.E.D.」を聴いてみることをオススメします。
ストーリーについてばかり触れましたが、楽曲の完成度も限りなく高く、美しさとロックが見事に共存しています。
あなたもきっと『ブラック・マリアの迷宮』の住人となることでしょう…!
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