2008/3/24 月曜日

多忙にハッピー☆

Filed under: つぶやき — 正則 @ 11:30:42

日曜日。朝から忙しい一日だった。

まず、作戦決行の午前中。息子と目配せし外出。今月始めに予約しておいた妻の誕生日用のケーキを取りに行く。もちろん内緒のことなので深く静かに潜行する(笑)

キッチンにケーキを準備して、息子に呼びに行かせて「ハッピ~バ~スデ~トゥ~ユ~♪」

妻もいつの間にか30歳…。早いなぁ~。結婚して今年は10年目を迎えるということか…。うん、本当に月日の経つのは早い。いろいろとありがとう☆そして、これからも健康で頑張ろうね。

息子からの手紙が読まれて、蝋燭を「ふぅ~」。これにて息子と私のミッションが終了。美味しいケーキを皆で頂く(喜)

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私は昼飯もそこそこに、私たちの殺陣の師匠が出演している芝居を観に神楽坂まで出発。師匠から2時間半の上演時間と聞いていたので、小さい座布団を持参して準備万端で乗り込む。

長かった…。

が、観ていてそう苦痛ではなかった。清水邦夫の戯曲のお蔭か、台詞の裏の人間の狂気や情念が浮かび上がって、大げさに言うとシェークスピアのマクベスやハムレットに相通ずるものを感じた。

終演後、師匠や殺陣教室の仲間の一人の出演者としばし歓談して劇場を後にする。

帰途、年末の舞台の台本の参考にと購入した「武士の家計簿」を読みつつ幕末とその暮らしぶりに思いを馳せた。

何代もの家族が暮らし、生まれては死んでいく。人間は何故生まれてそして何故死んでいくのだろう。生きている間のその人のその運命というものはどのように形作られていくのだろう。

作品も生まれては、消えていく。残るものは何なのだろう。

少々哲学的になりながら、多忙な一日が終わっていった…。

2008/3/11 火曜日

ふざけるんじゃない!

Filed under: つぶやき — 正則 @ 12:49:55

と、思えることが突然目の前に…。

こんなことがあってはたまらん! と叫びたいが、時間を追うごとに現実になっていく。

昨日突然の訃報に接した。

つい、先週まで同僚として会話していた職員が亡くなった。

27歳…。

もう、勘弁してくれ!

臨床心理士として将来を嘱望され、若手のホープして期待されていた人の死。

どういうことだ? 何故そうならなくてはならないのだろう。

何か間違ってやしないか?

まったく信じていなかった私たちの目の前に、葬儀場に掲げられた名前を見て現実を突きつけられた。

そして場内に足を運びお経の流れる中で彼女の遺影を見たとき、なんだか再びわけが分からなくなった。いつものように微笑む彼女…。

これは、本当に現実のことなのか…?

お清めの場所で彼女を知る元職員に会い、その涙を見たら堪えていた何かが堰を切ったように流れた。

これまでも多くの死を見てきたが、若い人の死は涙しかない。辛く、苦しい気持ちしかない。

友人の結婚したばかりの奥さんの心不全による死。彼女は僕も良く知っていた…。幼馴染の友人の弟さんの交通事故。ついこの前まで生きていたのに。そして、学生時代の友人の引きこもりによる自殺。もう、若い人の死はこりごりだと思っていたのに、また……。

飲みに行ったり、しゃべったり…。僕のコーヒーのコップを「いっしょに洗っちゃうね。」と、微笑みながら片付けてくれたり、熱い思いで精神保健の事を語ったりしたあの日々…。

まだ、続くはずでしょ。

まだ、終わらないはずでしょーよ!

まったくもって意味がわからん!

本当にふざけるんじゃねぇ!

今朝出勤したら、タイムカードの棚にいつも通り彼女のタイムカードが置いてあった。まるで、今日も「おはようございます。」と駆け込んでくるかのように…。

心よりご冥福を祈る。合掌。

2008/3/10 月曜日

N(なんと)K(こんなところで)プロジェクト公演

Filed under: 未分類 — 正則 @ 11:55:34

先週7日に、12月の客演でお世話になった共演者の上演するお芝居に観劇に伺った。

NK projects! の「Snowoman」。地球環境をテーマにした芝居だ。演出家の方は30代との事だが、なぜか僕は自分が20代(いまから○十年前)の頃に数多く見られた芝居に共通する匂いのようなものを感じた。直接的な言葉は避け、表現という大きな枠組みで勝負する。一歩間違えると観客は置いてきぼりの感は否めないが、良ければ芸術作品の高みにまで登りつめるという類のものだ。

私はアメリカの作家でウイリアム・サローヤンが大好きで、一時期むさぼる様に読んだ。これは実に哲学的でややもすると敬遠される題材であるが、私はなぜかその深さに魅力を感じていた。

NKの様な芝居を観たとき、しばしばその時の自分の自問自答や、劇作に対する思いに頭脳が回転を始める時がある。今回の劇作が、観た観客に何かを投げかけ、それによって観た人の心に深みを与えるものであることを願う。

終演後、当時の共演者や関係者の同窓会のようなロビーになった。共演者や歌のメンバーなどなど…。演劇の世界は世代や性別を越え、同じ舞台を作り上げると何故にこんなに仲良くなってしまうのだろう…。ものづくりの得体の知れない底力を感じる瞬間である。

挨拶を終え、寒々とした外に出るとやはり日本酒が飲みたくなる。共演した殺陣教室の師匠と近くの居酒屋で演劇の話を肴に一献傾ける。

僕にとってはものを書くことと同じくらいこの様な時間が至福の時なのである。

芝居好きにもこまったもんだ(^_^;)

2008/3/6 木曜日

なんのために

Filed under: 未分類 — 正則 @ 11:11:28

12月のリバーサイド・アーティストの上演劇場が決まった。

 以前にもどこかで書いたが、この歳になってまだ芝居をやるとなると相当な覚悟がいる。もう、情熱だけではとても日々を乗り越えられない。情けないことを言っていると思うかもしれないが、家庭と仕事とそして創作とすべてをやりきるためには、やはりそれなりの覚悟がいるのだ。毎日創作のことだけを考え、しかも行動できたらどれだけ良いだろう。もちろん、それを生業としてる方々の苦労も相当だろうが、少なくとも一本に絞れる。

そうした過酷な闘いをやりぬくためには、「なんのために」という明確な目的が必要だと思う。

 どうしてもこれは伝えなくてはとか、今しかできない事だからとか…。2度とめぐり合わせのないキャストだからとか…等々。

 明治維新は誰もが変革の象徴として描いてみたい背景ではある。調べれば調べるほど時代に翻弄される人間が見えてくる。歴史に残る人物たちでさえ時代の流れをどうすることもできないのだから、ましてや庶民など嵐の中の落ち葉同然の日々であったろう。

 前回同様、私はこの時代に翻弄される庶民を描きたい。有名人はたった一人しか登場しない。後は台詞で語られるだけだ。この庶民を描ききることが、今回の芝居の目的だ。

 時代に立ち向かう若い侍たち。なすすべもなく飢える町民。刀を失ったかつての英雄。愛するがゆえに別れなければならない男女。

 私が、明日江戸から明治に変わる時代に生きていたとしたら…。

 ずっと結っていた髷を切って、帯をほどき洋服を着る。その感覚とはどのようなものだったのだろう…。

 庶民は賢い。生きるためには大きい波にすぐにも順応する。見栄も外聞もない。もともと権力も金もない。裏でコケにしていても、大名の前では平気で土下座ができるのが庶民だ。また、それでなければ生きてはいかれなかった。そんな愛すべき人々…。

 この公演、実現するには多くの仲間が必要である。そして、その仲間の様々な考え意見も多く耳にすることになる。私は頑固者と言われ、聞いているようで聞いていないと言われる。その通りのこともあるが、聞く耳を持っていないわけではない。聞くということを深く考えている。聞いたらどうなるか、聞くことによってどのようになるのか。即断は崩壊を生むかもしれない。吟味していると頑固といわれ、すぐに聞くと優柔不断といわれるのは世の常だ。

 そこで私はそういう時は、その時代の人達の言葉に耳を傾けることにしている。つまり当事者だ。時代に生きていた人達の言葉に耳を澄ます。

 それは違うんじゃないかと言われたら、いやこれが俺のやり方だとついつい言ってしまう。でもそれは、意見を聞かないこととは違うと思っている。俺のやり方だとは言うものの、言ってくれた人の意見は心に残っている。そして良く考える。結論はどうなるかは別として、考えるのだ。そうして深まっていく。

 違う、いやそうだというやり取りはたくさんだ。ここをこうすればどうだろう、ここをこの様にしたらずっと良くなるのではないかという意見は、考える余地がある。やり方論をやり始めたら解決の道はないと思う。もともと違う考えを持っているのが人間なのだから。

 さて、アゴのつぶやきはこのくらいにしておこう。現実はすでに始まっている。良い本を書くこと。それが今の私に課せられた重要な使命だ。大きな建築物を建てるためにも、具体的にそして発展的に、繊細で大胆な設計図が必要だ。頑張ろう。まずはこの孤独な闘いに勝利しなくてはならない。

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